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最終更新日:2018年06月07日




●松本清張の「砂の器」を歩く (伊勢、大阪編)
  初版2004年1月24日 <V01L06> 伊勢市の地図を修正

 今週も松本清張の「砂の器」を続けて掲載します。先週は蒲田操車場で殺害された元警察官 三木謙一の故郷、島根県仁多郡仁多町亀嵩を歩きましたが、今週は、三木謙一と犯人の接点の伊勢、犯人が戸籍を偽造した大阪を訪ねます。

 今回の取材は、原作と、昭和49年(1974) 主演:丹波哲郎、加藤剛、森田健作で映画化された時の撮影場所を中心に紹介しています。2004年1月18日から始まる中居正広(SMAP)主演の「砂の器」は、原作とは少し違ったストーリーで、TBSのホームページを見ると、時代設定は現代、主人公を刑事役から犯人に置き換えています。中居正広が犯人役になるようです。テレビドラマの撮影場所が何処なのか愉しみです。(そちらも順次紹介したいとおもっています)

<カッパ・ノベルス「砂の器」>
 松本清張の「砂の器」は、昭和35年5月17日から、読売新聞夕刊に掲載が始まり、昭和36年4月20日まで、約一年続きます。本になったのは、昭和36年7月、光文社のカッパ・ノベルスです。当時、読売新聞で松本清張を担当していた山村亀二郎が、松本清張とのやり取りを書いています。「昭和35年4月のある日、私はデスクに呼ばれ、次の夕刊小説は松本清張氏の推理小説でゆくから君が担当してくれ、今から一ヶ月はある、詳しくは清張さんと打ち合せるようにといわれた。当時の朝刊小説はベテランの作家、吉川英治、獅子文六、大仏次郎、石坂洋次郎、石川達三氏等が交互に朝日、毎日、読売の三社に書き、二、三年先まで約束されていた。しかし夕刊小説の舞台だけは新進作家が登用され、源氏鶏太氏の”実は熟したり”、檀一雄氏の”夕日と拳銃”などが好評だった。そのため次の夕刊小説は誰が書くのか、各社の文壇記者の間では注目のマトだった。……挨拶は抜きで間髪を入れず、「新聞で推理小説を試みるのは初めてなので僕も真剣です。毎日読者に飽きさせずに読ませるのは相当の工夫を要します。ですから新聞の持つ機能をフルに利用出来るようにして下さい。作者、さし絵(朝倉摂氏)、編集者の三位一体となって協力すれば成功に漕ぎつける自信はあります」と清張さんは確信を持っていう。私は即座にこれはイケルと思った。……最終回の羽田空港の場面は朝倉摂さんと三日も調べて場所を設定するなど、小説の盛り上げに努力し、三百三十七回は好評のうちに終った。いまから十一年前のことだが、つい昨日のことのように懐しく思い出されます。」。やっぱり、当たる小説は、最初の第一印象でわかりますね。でも、337回の毎日の連載は大変です。

【松本清張】
1909(明治42)年12月、福岡県小倉市(現・北九州市)に生れる。53(昭和28)年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。56年、それまで勤めていた朝日新聞社広告部を退職し、作家生活に入る。63年「日本の黒い霧」などの業績により日本ジャーナリスト会議賞受賞。70年菊池寛賞、90年朝日賞受賞。「点と線」「波の塔」「日本の黒い霧」「現代官僚論」「昭和史発掘」「古代史疑」「火の路」「霧の会議」「草の径」など多方面にわたる多くの著作がある。92(平成4)年8月死去。98年8月、北九州市に「松本清張記念館」が開館した。(文春文庫「松本清張の世界」より)

左上の写真が、光文社のカッパ・ノベルス「砂の器」の初版本です。当時の価格で300円、カレーライスが110円で食べられた頃です。カッパの本はサラリーマンの愛読書でした。

「砂の器」日本地図


●松本清張の「砂の器」を歩く (伊勢編)
 
被害者の身元が割れ、伊勢参宮に出かけたまま行方不明になった事がわかります。今西刑事は、伊勢に向かいます。



<二見浦駅>
 蒲田操車場で殺害された被害者の身元がわかり、その線から殺害される直前の足取りがつかめます。被害者の元警察官 三木謙一は、殺害された5月12日の直前の5月9日、お伊勢参宮のため伊勢市に滞在していました。「…今西栄太郎はホームを歩いて、近鉄の参宮線に乗り換えた。伊勢市には二時間ぐらいで着く。今西には、伊勢市というと、どうも気持ちにぴたりと来ない。昔から言いならされた宇治山田市のほうが、いかにも伊勢参宮に来たという気持ちがするのだ。戦前に一度来たことがあるが、市内はあまり変わっていなかった。…」。原作では、伊勢市を訪ねた事になっていますが、映画では、二見浦駅に到着しています。近鉄の宇治山田駅は、デザインがすばらしい駅です。それにひきかえ、JRの伊勢市駅と二見浦駅は困ったものです。映画を見た事のある方は覚えているかとかもいますが、駅前の鳥居は当時のままでした。

左上の写真が現在の二見浦駅です。映画化された当時の木造の駅は既になく、二見浦には似てもにつかぬ近代的なデザインの駅?になっていました。どうしてこんなデザインの駅になってしまうのでしょうか。二見浦の旅館街は、古い町並みのままで、雰囲気があるのですが、駅がこんなデザインではどうしょうもありません。写真のアングルは映画と同じにしてみました。

<二見旅館>
 被害者の元警察官 三木謙一が伊勢参宮のため、滞在していたのが伊勢市駅前の二見旅館でした。「…二見旅館というのはすぐわかった。駅から歩いて五六分のところである。宿の前をそれとなく見て通ったが、団体客を送り出しているところで、ごった返していた。……今西は、自分の名刺を出した。「私はこういう者だが、ご主人かおかみさんがおられたら、ちょつとお目にかかりたい、と言ってくれないか?」女中は、今西の名刺を手に取って、ちょっとびっくりしたような顔をした。……女中の申し立ては、正しく三木謙一に間違いないのだ。「言葉はどうでした?」今西はきいた。「そうですね、ちょっと変わった言葉でしたよ。何だかズーズー弁のようでしたから、わたしは東北の方ではないかと思いましたわ」…「宿にはいったきり、一度も外に出ませんでしたか?」「いえ、お出かけになりましたよ」……「それは、ただの散歩でしたか?」彼は女中に質問をつづけた。「いえ、映画を見にいくとおっしゃっていました」。…」。原作に忠実なら、伊勢市駅前に二見旅館がないとだめなのですが、どういうわけか(伊勢参宮なら二見浦駅のほうがわかりやすい?)、次の駅の二見浦駅前の旅館を撮影につかっています。伊勢市駅前にも木造三階建ての旅館があったのですが!

右上の写真が映画撮影につかわれた旅館「扇屋」です。二見浦駅を降りて鳥居を過ぎた、すぐ左側にあります。現在はレストランになっているようです。

二見浦駅付近地図




<旭館>
 今西刑事(丹波哲郎)は、被害者の元警察官 三木謙一が2度も見に行った映画館、旭館を訪ねます。「…そのまま映画館に向かった。映画館は商店街の中にある。表には、けばけばしい絵看板があがっている。時代ものを二つやつている。……「つかぬことをうかがいますが、五月九日の上映映画は何だったかわかるでしょうか?」……『利根の風雲』も『男の爆発』も、今の人気俳優が出演している。端役以下つまらない脇役でも、かなり役者名が出ていた。たとえば「女中ABC」とか「子分ABC」にも、丁寧に配役が書かれてある。……今西栄太郎は、初めて三木謙一が二度もその映画館にはいった理由がわかつた。…今西が旭館を調べにいったのは、秋になってからである。…」。二見旅館のすぐ近くにある映画館、旭館のはずなのですが、映画では伊勢市駅裏近くの映画館「ひかり座」を撮影につかっています。映画だけを見ていると、違和感はないのですが、ロケ地を探していくと、距離感がなにか変ですね。今西刑事(丹波哲郎)は、この映画館に架かっていた、ある写真で、犯人を確信します。

右の写真は、伊勢市駅裏の映画館「ひかり座」跡です。現在は更地になっており、工事をしていましたので、建物が建つのではないでしょうか。映画では、近鉄山田線に向かって細い路地があり、路地の左側に映画館がありました。線路の向こう側に写っている建物で、場所を確認しました。

伊勢市駅付近地図



●松本清張の「砂の器」を歩く (大阪編)
 伊勢で割り出した犯人の裏付けを取る為、今西刑事は犯人の本籍地、大阪市浪速区恵美須町に出かけます。


<通天閣>
 今西刑事(丹波哲郎)は、伊勢で犯人を割り出しますが、裏付けを取る為、犯人の本籍がある大阪市浪速区に向かいます。「…朝の八時半に、今西栄太郎は大阪駅に着いた。……やがて商店街にはいった。どの店もまだ戸をあけていなかった。「この辺の店は、きれいだね」 今西は外を見て言った。「へえ、戦後、すっかり建て直りましたさかいな」、「すると、この辺一帯、空襲で焼かれたのかい?」、「へえ、そら、もうすっかり焼け野原になりましてん」「いつの空襲?」、「それが終戦間際の、昭和二十年三月十四日でしたな。B−29が大編隊で来よりましてな、焼夷弾の雨ですわ。アメリカはんも、もうちょっと待ってくれはったら、この辺も助かりましたやろ」……」。今西刑事が訪ねた場所は、大阪ミナミの通天閣付近です。これぞ大阪、コテコテの大阪がある場所です。映画では、通天閣の下にある交番を訪ねていますが、本当に交番がありました。

【通天閣】
現在の通天閣は二代目で、昭和31年(1956)10月誕生しています。初代通天閣は、明治45年(1912)7月に誕生した一大歓楽地「新世界」の目玉として建設され、東洋一の高さ(64m)でした。しかし、初代通天閣は昭和18年(1943)の火災で解体されてしまいます。現在の通天閣の高さは僅か100mですが、大阪ミナミのシンボルとなっています。(通天閣のホームページを参照させて戴きました)

左上の写真が、通天閣下の交番前です。真上が通天閣になります。少し離れた場所から撮影した通天閣の写真を載せておきます。

<通天閣本通り>
 今西刑事(丹波哲郎)は、犯人の本籍地、大阪市浪速区に出向き、出生地と思われる付近の人々に出生の秘密を聞き出します。 「…「お客はん。着きましたえ」今西が見ると洋服問屋の前だつた。「ここが、その番地かい?」「へえ」今西は料金を払った。彼は、降りた地点から、あたりを調べるように見まわした。どの家も新しい。戦前の古びた建築は一つもなかった。同番地の洋服問屋は、「丹後屋商店」と看板に出ていた。……今西栄太郎は、「丹後屋」の主人から話を聞いた。枯れ木のように痩せている六十ばかりのこの老人は、大阪のこの土地に、父祖の代から住みついているのだと言った。だから、この界隈のことなら、昔のことも詳しく知っていた。今西はここで三十分ばかり話を聞いて、外に出た。…」。映画では、写真の右側の丹波屋商店の主人に話を聞き、空襲まで住んでいた所を教えてもらいます。

右の写真が現在の通天閣本通りです。正面が通天閣になります。雨が降っていた為、少しボケています。

<浪花区役所>
 丹後屋商店の主人の話の裏を取る為、浪花区役所の戸籍係を訪ねます。「…区役所の中に大勢の人が動いていた。戸籍係の前に出た。窓口には、若い女事務員がいた。今西は手帳を出した。「ちょっと、うかがいますが」「はい」女事務員は顔を振り向けた。「浪速区恵比須町二ノ一二〇にこういう戸籍がありますか?」手帳ごと事務員にみせた。…」ここで、今西刑事は、裏付けを取り、犯人を確信します。恵美須町二ノ一二〇という番地は、通天閣がある恵美須東一丁目付近ではなくて、正確には堺筋を超えた恵比須西三丁目付近です。

左の写真が、現在の浪花区役所です。建て直されて綺麗な区役所になっていました。コテコテの大阪という雰囲気はありませんでした。残念です。

この後、今西刑事は東京に戻り、犯人逮捕に向かいます。

「砂の器」の大阪ミナミ付近地図




【参考文献】
・砂の器 上、下:松本清張、新潮文庫
・DVD 砂の器:監督 野村芳太郎、原作 松本清張、松竹株式会社
・松本清張の世界:松本清張、文藝春秋臨時増刊号
・松本清張事典:歴史と文学の会、勉誠出版
・成長日記:松本清張、日本放送出版協会
・新潮日本文学アルバム 松本清張:新潮社
・松本清張の世界:文春文庫
・半生の記:松本清張、河出書房
・朝日新聞時代の松本清張:吉田満、九州人文化の会刊
・松本清張記念館図録:松本清張記念館
・証言─朝日新聞時代の松本清張:松本清張記念館
・新たなる飛躍-点と線のころ:松本清張記念館
・松本清張の残像:藤井康栄、文春新書
・松本清張 その人生と文学:田村栄、啓隆閣新社
・時刻表復刻版 戦後編:日本交通公社


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