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最終更新日:2006年2月23日




●松本清張の「砂の器」を歩く (亀嵩編)
  初版2004年1月17日
   二版2012年6月1日 <V01L01> 三成警察署の場所を修正 暫定版

 今週も松本清張の「砂の器」を続けて掲載します(「村上龍を歩く」はもう少しお待ちください)。先週は蒲田操車場から秋田の羽後亀田までを歩きましたが、今週は蒲田操車場で殺害された元警察官 三木謙一の故郷、島根県仁多郡仁多町亀嵩を歩きます。

  今回の取材は、原作と、昭和49年(1974) 主演:丹波哲郎、加藤剛、森田健作で映画化された時の撮影場所を中心に紹介しています。2004年1月18日から始まる中居正広(SMAP)主演の「砂の器」は、原作とは少し違ったストーリーで、TBSのホームページを見ると、時代設定は現代、主人公を刑事役から犯人に置き換えています。中居正広が犯人役になるようです。テレビドラマの撮影場所が何処なのか愉しみです。(そちらも順次紹介したいとおもっています)

<亀嵩へ>
 トリスバーでの被害者の東北弁「カメダ」をたよりに、今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事は羽後亀田を訪ねますが、調査は実りのない旅となりました。しかし、事件は意外な所から進展します。
「…事件が起こってから、すでに二月以上経っていた。捜査本部が解散してからも、もう一カ月以上になる。そのころになって突然、被害者の身もとが割れたのである。それは捜査当局の自力ではなく届け出があったのだ。ある日、警視庁に一人の男が訪ねてきた。彼は「岡山県江見町××通り、雑貨商三木彰吉」という名刺を出した。自分の父が三カ月前に伊勢参宮に出たまま行方不明となっている。もしや、それが蒲田操車場で殺された被害者ではないか、というのだった。…」
 ストーリーとしては、ここで一気に進展します(やっぱり小説ですね)。
「…今西栄太郎は、都電で一ツ橋に降りた。暑い盛りを濠端の方に歩くと、古びた白い建物があった。小さな建物である。「国立国語研究所」の看板がかかっている。…「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした」今西はうれしさを押さえて言った。…近くの本屋に寄って、島根県の地図を求めた。彼は本庁に帰るのも間遠しく、本屋のすぐ隣の喫茶店に飛びこんだ。ほしくもないアイスクリームを頼んで、地図をテーブルの上に広げた。今度は、出雲から「亀」の字を探すのである。…すると、途中で、思わず息をのんだ。「亀嵩」とあるではないか。「かめだか」と読むのであろうか。……昭和三年二月島根県巡査を拝命、松江署に配属。四年六月大原郡木次署に転属、八年一月巡査部長に昇任、同三月仁多郡仁多町三成署に配属され、同町亀嵩巡査駐在所詰めとなる。十一年警部補に昇任、三成警察署警備係長となり、十三年十二月一日依願退職となる。…」
 ここで、いままでの”東北弁”と”カメダ”が繋がっていきます。今西刑事は島根県警からの回答だけでは物足りず、自ら、島根県仁多郡仁多町亀嵩に向かいます。

【松本清張】
1909(明治42)年12月、福岡県小倉市(現・北九州市)に生れる。53(昭和28)年「或る『小倉日記』伝」で第28回芥川賞を受賞。56年、それまで勤めていた朝日新聞社広告部を退職し、作家生活に入る。63年「日本の黒い霧」などの業績により日本ジャーナリスト会議賞受賞。70年菊池寛賞、90年朝日賞受賞。「点と線」「波の塔」「日本の黒い霧」「現代官僚論」「昭和史発掘」「古代史疑」「火の路」「霧の会議」「草の径」など多方面にわたる多くの著作がある。92(平成4)年8月死去。98年8月、北九州市に「松本清張記念館」が開館した。(文春文庫「松本清張の世界」より)

左上の写真が、宍道〜備後落合間を走る、JR木次線亀嵩駅のホームにある駅名看板です。松本清張の「砂の器」で有名になったので゛昭和30年代風の駅名看板になっていました。



「砂の器」日本地図




<宍道駅>
 昭和30年代は新幹線もなく、東京から木次線出雲三成駅までの旅はたいへんだったようです。
「今西栄太郎は、東京発下り急行「出雲」に乗った。二十二時三十分発である。…今西栄太郎は七時半に目が覚めた。米原を過ぎていた。窓からのぞくと、朝の陽が広い田畑に当たっている。相の果てに、水がちらちら光って見え隠れした。琵琶湖だった。…京都で弁当を買って朝飯をすませた。昨夜、妙な格好で寝たせいか、頸筋が痛い。今西は、自分の頸を摘まんだり、肩を叩いたりした。それからが長い旅だった。京都を過ぎて福知山に出るまで、山の中ばかりで退屈だった。豊岡で昼飯を食べた。一時十一分だった。鳥取二時五十二分、米子四時三十六分。大山が左手の窓に見えた。安来四時五十一分、松江五時十一分。今西栄太郎は、松江駅に降りた。このまま亀嵩まで行くと、三時間以上かかる。そこまで行っても、すでに警察署は係りが帰ってしまっている。今日のうちに足をのばしても、むだだった。今西は、松江は初めてだ。駅前の旅館に泊まり、安い部屋に通してもらった。…」
 昨日の夜22時30分に東京を出て、松江着が17時11分ですから、17時間41分かかっています。一日かかっても目的地に着きません。疲れ切ってしまいますね。翌日、今西刑事(丹波哲郎)は松江から山陰本線を宍道まで乗り、木次線に乗り換えます。

左上の写真が木次線乗換の、山陰本線宍道駅です。「砂の器」は昭和49年(1974) 主演:丹波哲郎、加藤剛、森田健作で映画化されており、30年前の撮影なのですが、この宍道駅は当時のままでした。丹波哲郎の今西刑事が木次線に乗り換えるため、プラットホームを歩いている場面があるのですが、写真とまったく同じでした。駅舎も変わっていない様です。ただ、映画では、東京発の急行「出雲」てはなく、大阪までは新幹線で、そこから特急「まつかぜ」で出雲に来ています(映画も時代に合わせています)。

<三成警察署(みなりけいさつしょ)>
  2012年6月1日 三成警察署の場所を修正
 宍道駅で木次線に乗り換えた今西刑事(丹波哲郎)は、出雲三成の三成警察署へ向かいます。”みなり”とはよめませんでした。松江の島根県立図書館の方に教えていただきました。ありがとうがざいました。
「…時代おくれの旧式の列車かと思っていたが、ディーゼルカーなのであんがい新しい感じがした。……出雲三成の駅におりた。ここは仁多郡仁多町で、亀嵩はこの三成警察署の管内になっていて、そこには派出所があるだけだった。だから、まず、三成警察署に行く必要があった。駅は小さかった。だが、仁多の町はこの地方の中心らしく、商店街も並んでいた。駅前のゆるやかな坂をくだると、その商店街にはいるのだが、眠ったような店先には、電気器具や、雑貨や、呉服物などがあつた。「銘酒、八千代」の看板が目につくのは、たぶん、この辺で醸造される酒なのであろう。橋を渡った。家並みはまだ続いている。瓦屋根もあったが、檜皮葦の屋根があんがい多い。郵便局を過ぎ、小学校を過ぎると、三成警察署の前に出た。建物は、この田舎とは思われないくらい立派だった。東京の武蔵野署や立川署ぐらいの大きさだった。白いこの建物を背景にして、やはり山が迫っている。…」
 出雲三成の町は上記に書かれている通りの町でした。松本清張本人が訪ねていたのでしょうか、それとも地図をみて書いたのでしょうか。木次線の駅は、ほとんどが昔のままの駅舎なのですが、この出雲三成の駅だけは新しくなっていました。又、郵便局は場所が変わって三成小学校の先になります。

写真の正面、左側辺りが当時の三成警察署の場所です。”月決本町駐車場”と書かれた看板のところです。”月決”は”月極”の間違いだとおもうのですがどうでしょうか。現在は名前が変わり雲南警察署 三成広域交番です。少し前までは三成警察署でした。また、上記に書かれている「銘酒、八千代」というお酒は本当に或るのかなとおもっていたら、仁多郡仁多町大字八代に八千代酒造という酒造会社があって、「銘酒、八千代」というお酒がありました。

出雲三成付近地図





<亀嵩駅(かめだけ)>
 今西刑事(丹波哲郎)は、三成警察署から車で、亀嵩に向かいます。
「…今西栄太郎は、署長の好意で出してくれたジープに乗って亀嵩に向かった。道は絶えず線路に沿っている。両方から谷が迫って、ほとんど田畑というものはなかった。そのせいか、ところどころに見かける部落は貧しそうだった。出雲三成の駅から四キロも行くと、亀嵩の駅になる。道はここで二叉になり、線路沿いについている道は横田という所に出るのだと、運転の署員は話した。…」

 出雲三成から亀嵩の町に向かう途中にこの亀嵩駅があります。松本清張の「砂の器」で有名になった駅で、駅舎はお蕎麦屋さんも兼ねていました。他の方のホームページでもこのお蕎麦屋さんがよく紹介されていました。出雲蕎麦を私も食しましたので、お蕎麦の写真を載せておきます。

左上の写真が亀嵩駅です。30年前と変わっていないと思います。ただ、映画で撮影された亀嵩駅はこの駅ではありません。亀嵩駅から備後落合に向かって、2駅目に八川駅という鄙びた駅があるのですが、その駅が撮影に使われた様です。

<亀嵩駐在所>
 蒲田操車場で殺害された元巡査 三木謙一が勤務していた亀嵩派出所のある亀嵩の町に向かいます。
「…亀嵩の駅から亀嵩部落はまだ四キロぐらいはあった。途中には、ほとんど家らしいものはない。亀嵩の部落にはいると、思ったより大きな、古い町並みになっていた。この辺の家も檜皮葺の屋根が多く、なかには北国のように石を置いている家もある。算盤の名産地だと署長が説明したが、事実、町を通っていると、その算盤の部分品を家内工業で造っている家が多かった。」でしもわれます。ジープは町のなかを走って、大きな構えの家の前にとまった。この辺の言葉でいう親方(金持ち) の屋敷である。署長の言った算盤の老舗、桐原小十郎の家だった。…」
 この付近は算盤が有名で、”雲州そろばん”というそうです。

右の写真が現在の亀嵩駐在所です。駐在所の前が亀嵩小学校で、もう少し走ると亀嵩の町になります。映画では亀嵩の派出所は撮影に使われず、亀嵩から三駅、宍道に戻った下久野の駅から少し離れた川の側にある普通の民家が使われました。

<湯野神社と「砂の器」記念碑>
 亀嵩の町並みをすぎると、湯野神社の鳥居が左手に見えてきます。その鳥居の左側に「小説 砂の器 舞台の地」という記念碑が建てられています。映画では、亀嵩派出所の巡査 三木謙一がこの事件の発端となる二人を見つけるのがこの湯野神社の神殿でした。

【仁多町紹介】
昭和30年、布勢村、三成町、亀嵩村、阿井村、三沢村が合併し、仁多町発足しています。「砂の器」が昭和36年ですから、すでに仁多町になっていたわけです。尚、砂の器」記念碑は昭和58年に除幕されています。字は当然松本清張本人です。

左の写真が、現在の湯野神社と「砂の器」記念碑です。


「砂の器」の亀嵩付近地図




【参考文献】
・砂の器 上、下:松本清張、新潮文庫
・DVD 砂の器:監督 野村芳太郎、原作 松本清張、松竹株式会社
・松本清張の世界:松本清張、文藝春秋臨時増刊号
・松本清張事典:歴史と文学の会、勉誠出版
・成長日記:松本清張、日本放送出版協会
・新潮日本文学アルバム 松本清張:新潮社
・松本清張の世界:文春文庫
・半生の記:松本清張、河出書房
・朝日新聞時代の松本清張:吉田満、九州人文化の会刊
・松本清張記念館図録:松本清張記念館
・証言─朝日新聞時代の松本清張:松本清張記念館
・新たなる飛躍-点と線のころ:松本清張記念館
・松本清張の残像:藤井康栄、文春新書
・松本清張 その人生と文学:田村栄、啓隆閣新社
・時刻表復刻版 戦後編:日本交通公社

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