<青函連絡船 摩周丸>
青函連絡船は昭和63年(1988)3月、青函トンネルの開通に伴い廃止されています。「点と線」の昭和32年頃は一日四便往復で運行されていたようです。安田のアリバイ崩しではこの青函連絡船の旅客名簿がポイントになります。「 …青森到着は九時九分。連絡船が出るまでには四十分の間があったが、船までの長いホームを旅客がいい席を取るため、気ちがいのように競走していた。三原は背中を何度もこづかれた。…」。私も一度だけ青函連絡船に乗船したことがあります。歳が分かりますね。上記に書かれているように青森駅で列車を降りると、顧客がプラットホームから乗船場に分かってものすごいスピードで走っているのを見た記憶があります。青函連絡船でよい場所を取る為なのですが、私は初めてだったので唖然としました。皆さん、すごい量の荷物を抱えながら走っていました。
★左上の写真は函館で青函連絡船記念館として保存されている「摩周丸」です。ビートたけしの「点と線」では青函連絡船の場面として使われていました(写真の所です)。青函連絡船が保存されているのは青森(八甲田丸)、函館(摩周丸)、東京お台場(羊蹄丸)の三隻です。私は函館(摩周丸)、東京お台場(羊蹄丸)を見学しています。東京お台場の船の科学館に係留されている羊蹄丸は中が改造されていて、昭和20年当時の青森の風景がよかったです。