<時刻表>
松本清張の「点と線」といえば推理小説としてはあまりに有名です。書かれたのは昭和32年(1957)で旅行雑誌「旅」に昭和32年2月号から33年1月号まで掲載されています。昭和30年代に入ると戦後からの脱却が始まり、昭和31年11月には東海道線が東京から神戸まで電化され旅行プームが始まります。「安田辰郎は、一月十三日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に一人の客を招待した。客の正体は、某省のある部長である。安田辰郎は、機械工具商安田商会を経営している。この会社はここ数年に伸びてきた。官庁方面の納入が多く、それで伸びてきたといわれている。だから、こういう身分の客を、たびたび「小雪」に招待した。安田は、よくこの店を使う。この界隈では一流とはいえないが、それだけ肩が張らなくて落ちつくという。しかし座敷に出る女中は、さすがに粒が揃っていた。安田はここではいい客で通っていた。むろん、金の使い方はあらい。それは彼の「資本」であると自分でも言っていた。客はそういう計算に載る人びとばかりであった。…」。書き出しはうさん臭い機械工具商社長 安田辰郎と某省官僚との癒着から始まります。戦後は昭和電工事件、造船疑獄等の政治家、官僚を巻き込んだ疑獄事件が相次いで発生しており、そのテーマも取り込んだ長編推理小説となったものとおもわれます。
★左上の写真は昭和31年12月の日本交通公社発行の時刻表です。上記にも書きましたが、昭和31年11月19日、最後まで残っていた非電化区間 大津−米原間が電化され東海道線が東京から神戸まで電化されます。電化された最初の時刻表が上記の時刻表となります。「点と線」は「旅」の昭和32年2月号からですから1月には「旅」は発行されており、故に松本清張が原稿を書いたのは12月頃だったとおもわれます。ですから松本清張が「点と線」を書くために見た時刻表は12月号か翌年の1月号だとおもわれます。