<奈良駅>
2012年11月3日 初代奈良駅舎の写真を追加
2012年11月9日 奈良郵便局跡の写真を追加
明治41年4月2日、志賀直哉(東京帝国大学卒業)、山内英夫(学習院在学中、里見ク)、木下利玄(東京帝国大学在学中)の三人は四条小橋の宿を出て奈良に向います。奈良ー七条驛間の鉄道が全通したのは明治29年で、私鉄の奈良鉄道でした。国有化されたのは明治40年、奈良線の七条駅が京都駅に統合されたのは明治41年6月ですから、三人が乗車したころはまだ七条駅でした。
里見クの「若き日の旅」からです。
「… 九
九時半の汽車で發つつもりが、寝すごしたので、次のを調べると十時、 ── いつも急ッつき役は志賀で、木下は、今なら早速「スロモウ居士」とでも渾名されさうな質、私は丁度その中間ぐらゐのところ、──
ひと汽車おくらしでゐるだけに、今朝の志賀と來たら、まるで火事場の騒動だ。大下がやつと帯を締めかけてゐる時分に、自分はもう、すぐにも出かけられるばかりに仕度を調へて、
── 片手に荷物、片手に洋傘、むろん帽子もちゃんと被って了つて、座敷ぢう、爪先で座布團を蹴返し蹴返し歩き廻るのは、忘物の用心なのだ。…
…
奈良の停車場前の通りには、いかにも行楽の土地らしく、土産物屋が竝んで、緑雨の書名でお馴染の「あられ酒」といふものなども賣つてゐた。まづ郵便局へ行き、留置を受け取る。出發前に、この地へ来るおよその日どりを云つて置いたのだ。早速封を切り、みんな往来を歩きながら讀む。母からの便に、弟が落第した由あり、二度目のことゆゑ、轉校しなければならないのだらうと、少し悄気る。…」
当時の時刻表で三人が乗車した列車を少し調べてみました。乗車予定だった9時30分発奈良行の列車は10時57分奈良駅着、次の列車は10時40分発で、奈良駅着は12時42分です。到着はお昼を過ぎていますね、駅から三条通りを真っ直ぐに上三条町の郵便局までは約700m、徒歩で10分程です。郵便局は近鉄奈良線の新大宮駅近くに移転していて現在は奈良市観光センターになっています。
上記に書かれている”あられ酒”を買ってみました。現在は奈良市福智院町の今西清兵衛商店のみが販売されています。ものすごく甘いです。冷して割って呑むといいかもしれません。因みに、女性は皆さんおいしいといいます。
「旅中日記 寺の瓦」からです。
「…◎四月二日 京都より奈良へ
〇九時半の汽車でたつつもりのが、わけもなく十時發と延びて、七條の停車場へ行ったのが十時三分過ぎ、即ち乗り遅れだ。それから東本願寺へ行き、ムギ〔麥〕湯を飲むで、西本願寺へ行った。此寺の隣りは華園の寺で、木ノが「御寺さんはどちらへ御出でゞすか」の「若法主は此方へ御田でゞすか」のと聞いてたが、聾の婆の取次で要領を得ない、再び尋ねて要領を得たと思へぼ、皆様御留守との事だ。それも本営に要領を得たのかどうか知れたものではない。今月の中央公論が見たいと思って雑誌屋を探したが所謂袈裟屋町でたまたま本を売る家があれば経文だ。…」
”華園の寺”とは西本願寺の南隣にある興正寺のことです。興正寺はかつて西本願寺の脇門跡でしたが、明治9年(1876)に真宗興正派として独立した時に、同派の本山となります。住職は門主の華園家です。(ウイキペディア参照)
★写真は現在の奈良駅です。左奥が現在の駅舎で、正面に昭和9年完成の二代目駅舎が写っています。初代駅舎の写真を見つけることが出来ましたので掲載しておきます。