<辨慶力餅>
前日の明治41年3月31日は白川口から比叡山に登り、根本中堂を見学後、本坂から坂本に下り、船で大津までたどり着いています。31日は大津で宿泊し、翌日の4月1日は船で琵琶湖観光をしています。大津市内の三井寺を訪ねたときに「辨慶(弁慶)力餅」を食べています。「辨慶力餅」は比叡山の茶屋で昨日食していますから二度目になります。
里見クの「若き日の旅」からです。
「…阿伽之井なども見て、力餅を食ひ、三度船に乗って、紺屋ケ關へ引き返して來た時には、だいぶもう午をすた。…」
閼伽井(現在はこう書く)は金堂の西側にあり内部には井泉が湧いており、天智・天武・持統天皇三名の産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっています。
「旅中日記 寺の瓦」からです。
「…志賀、山内両君モーバツサンをよむ。三井寺で力餅を食ふ。早稲田大学の帽子をかぶった書生が眼鏡をかけた細君か何かをつれて石段をのぼる。額堂の下迄くると、
「もうここらでやめませう」と女がいふ。
「もうそこだ、 バー、こい、ひっはつてやらう」と男が云つてた。松や椎の森の下を通って奥の院へ行く。…」
額堂はよく分からなかったのですが、観音堂付近にある建物ではないかとおもいます。観音堂への階段はかなりきついので場面が合っています。
★写真は現在の「辨慶力餅」です。お店は力軒で三井寺内の微妙寺前辺り、金堂正面からずっと歩いて観音堂に行く手前の左側にあります(午前中は開いていない)。お店の方に聞いたところ、元々は観音堂前の土産物屋のところにあったが修理等で現在地に移されたとのことです。ですから三人は観音堂の前で「辨慶力餅」を食べたことになります。観音堂からの大津市内は絶景です。昔の絵はがきと、現在の写真を見比べてください。尚、浜大津駅近くにも「力餅屋」がありますが、こちらは「三井寺力餅」で、”辨慶”が付いていません。大正3年の「名所旧趾大津市街地圖・商工業家案内」で三井寺観音堂前の「辨慶力餅」を確認しています。