<二條橋>
前日の明治41年3月30日、京都市内を一日掛けて徒歩で見物しています。その翌日に比叡山に徒歩で登ろうとするのですから本当に元気な若者達です。志賀直哉(東京帝国大学卒業)、山内英夫(学習院在学中、里見ク)、木下利玄(東京帝国大学在学中)の三人の若かりし頃のお話しの訳です。
明治41年3月31日、この三人は三条小橋の旅館吉岡家から比叡山を目指します。
里見クの「若き日の旅」からです。
「 七
からりとはしないが、どうやら天気もち直す。茶代を置き、肩身廣く宿を出
たのが八時、今日は叡山登りだ。
二條橋の欄干に倚りかゝつて、暫く友禅の布晒しを眺める。後年の客観歌人、木下は、かういふところでは、きまって根を生やして了ふ。
学校街をぬけて、だんだん家竝が疎になると、しきりに大原女と行き合ふ。新京極あたりより、却って綺麗な女がゐる。或は、初めて生で見るこの装のゆゑに、もの珍しさが、特にさう思はせるのかも知れないが。…」
三人が歩いた比叡山への道筋は、「若き日の旅」と「旅中日記 寺の瓦」から推測すると、
・三条小橋の旅館吉岡家→木屋町道り→二條大橋→鴨川左岸→荒神橋東詰→京都帝国大学正門前→(志賀越道)→地蔵谷→無動寺→根本中堂→本坂→坂本
ではなかったのかなとおもわれます。
当時は明治41年ですからケーブルカーもロープウエイもありませんでしたので、すべて徒歩で歩いたと推測できます(当時は駕籠での登山もあったようです)。
「旅中日記 寺の瓦」からです。
「◎三月卅一日 京都より大津
〇二條の橋を渡ると清き瀬に友禅をさらして居る。川の中州〔洲〕には若草が萌黄に萌えて居て友禅の水紅色と相映じて居る。大學と高等學校の前を通って叡山詣の途にのぼる。大原女がぼつぼつ見える。宗近君と甲野さんが會話したのはこの邊かしらんと話しながら登つで行く。…」
若い三人なので女性の話がでてきますね、その割には遊郭で遊んだというお話しは書かれていません。わざと書いていないのかはわかりません。”宗近君と甲野さん”とは夏目漱石の「虞美人草」の登場人物です。
★写真は現在の二條大橋です。三人はこの二條大橋を渡り鴨川の左岸を荒神橋東詰まで行き、そこから右折して志賀越道に入ったとおもわれます。この志賀越道を900m歩くと京都帝国大学正門前です(反対側は第三高等学校正門)。そのまま志賀越道を歩き、地蔵谷で左折して山道にはいます。