<宇治駅>
志賀直哉(東京帝国大学卒業)、山内英夫(学習院在学中、里見ク)、木下利玄(東京帝国大学在学中)の三人は、明治41年3月29日、関西本線の笠置から宇治に向かいます。大正元年9月の時刻表では笠置発8時42分、9時38分と二本ありますが、8時22分に乗車したものとおもわれます。(明治40年に関西鉄道は国有化されており、それ以前の時刻表は使えませんので、それ以降で入手可能な時刻表です)。宇治に向かうには関西本線から木津で京都線に乗換えなければなりません。木津着8時54分で、9時10分発の京都行きに乗換えます。宇治着9時45分となります(一本遅い列車でも11時1分着です)。名古屋や月ヶ瀬、笠置とは違う、本格的な観光地?巡りが始まります。
里見クの「若き日の旅」の宇治到着からです。
「… 豫定どほり宇治で下車。平等院、宇治上神社、興聖寺、黄檗山と見めぐる。
繪や彫刻はともかくも、関東に育って、美しい自然のなかに、いゝ建物をしみじみ見たことのない私には、新たに一つの視界が展けて來たやうで、嬉しさ、樂しさ以上、何か、胸がわくわくしたり、ほっと溜息が洩れたりするやうな気拝だった。…」
志賀直哉以外は初めての関西旅行だとおもいますので、”胸がわくわく”する気持ちはよくわかります。特に明治時代では、今のように簡単に旅行ができるわけでも無かったとおもいますので、胸の高鳴りはいかほどであったか、想像がつかないくらいです。
★写真は現在の宇治駅です。JR京都線は元々は私鉄の奈良鉄道でしたが、明治38年に関西鉄道に買収され、明治40年には国有化されます。因みに京阪の宇治駅は大正2年の開業です。(古い駅舎の写真が入手できませんでした)