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最終更新日:2006年4月22日


●お掘り端の三信ビルと明治生命館《重要文化財》
  
2000年3月18日
 
<三信ピル>
 JR有楽町駅を新橋側で降りて、晴海通りをマリオンと反対側の日比谷公園方へ歩いていくと100m位で日比谷交差点に出ます。そこから帝国ホテルの方へ向かって、角の朝日生命ビル(このビルも建て替える前はクラシックなビルだったのですが、昔一度入った事があります)の次が三信ビルです。屋上に鉄塔が建っているクラシックなビルですのですくに分かります。丸の内界隈のクラシックなビルの中でも古い方になるのではないかと思います(三信ビル:昭和4年、明治生命館:昭和9年、第一生命館:昭和13年)。

sanshin2-w.jpg 大きな二重のドアを空けてビルの中に入っていくと、直ぐに分かると思いますが(オフィスビルに見えて少々入りにくいのですが)中のアーケード街が素晴らしいのです。2階まで吹き抜けになっていて、丸い屋根の照明がクラシックでなんともいえません。真中にあるエレペータホールも円形で素晴らしいし、レストランもフランス料理の「ラ・プラムナード」等なかなかのお店が入っていて、その上お店の照明なども昔のままです。昭和初期に自分がタイムスリップしている錯覚に陥ります。ガラス張りの透明なビルもいいですが、こういう設計のビルがこのごろ出来ないのはなぜでしょう。(ビルを一歩でると平成に戻ってしまいますが)ビルのオーナーは三井不動産みたいですが、さすが三井ですね。

meijiseimei1-w.jpg<明治生命館>
 三信ビル
から、日比谷通りを大手町の方に順に辿っていくと、マッカーサー元帥で有名な第一生命館、帝国劇場、東京會舘、東京商工会議所と有名なビルが並んでいます。そのまま、もう少し歩くと、馬場先門の交差点の角に「さすが三菱グループ」と思える明治生命館があります。このビルは普通は中に入れないのですが、月に一回だけ見学が出来ます(明治生命殿のホームページを見ていただくと分かりますが、第一日曜日が見学日です)。この明治生命館は、ネオ・ルネッサンス様式のオフィスビルの最高峰として昭和9年3月、3年7ヵ月の歳月をかけて完成しています。単に意匠的に群を抜いているだけでなく当時のオフィスビルとしては最先端の技術が随所に取り入れられています。例えば空気で書類を送るエアシューター・ダイナモメーター付の電気時計やイギリス製の自家発電設備、さらには消防署に直結した火災報知器、ライトアップ用外灯の自動点灯装置など当時としては際立ったインテリジェントビルでした。また、戦時下の金属供出、東京大空襲、昭和20年から31年までのアメリカ極東空軍司令部による接収など、まさに昭和の激動期を乗り越え、大切に保存されています。さずが、明治生命ですね。(明治生命館ご案内より)中の見学は一階のフロアーのみですが、あまりの立派さに驚いてしまいました。右の下に写真をのせていますが、床から扉、廊下、机、階段、柱、天井、2階の回廊、昔のままで今でも全く古さを感じさせない素晴らしさです。このような建物は二度と建てる事は出来ないのではないでしょうか!

<明治生命>
meijiseimei2-w.jpg 明治生命は、明治14年、わが図最初の近代的生命保険会社として京橋区木挽町(現在の中央区銀座3丁目)で創業しました。明治28年には、イギリス人ジョサイア・コンドルが現在の敷地に設計した三菱二号舘に移転し、丸の内における明治生命の歴史がスタートしました。当時の丸の内は、「三菱ケ原」と呼ばれる草地でしたが、その後次々に煉瓦造りの近代ビルが建ち並び「一丁ロンドン」と呼ばれるようになりました。東京駅が開業した大正3年頃には日本のビジネスの中心地になっています。昭和に入ると事業の拡大に伴い新社屋を建設することになり、その設計者選出のため、当時を代表する建築家による設計競技が行なわれ、岡田信一郎氏の案が選出されました。(明治生命館ご案内より)


【岡田信一郎(1883〜1932)】
 明治16年生まれ。同39年東京帝国大学建築科を卒業、すぐに警視庁の嘱託となっています。大阪中央公会堂のコンペで、1等当選(29歳)。以後 大阪高島屋、歌舞伎座、東京府美術館、虎屋など業歴は多彩であり、遺作の明治生命館は西欧様式の充実した完成品といわれています。様式に精通していて、西欧様式でも帝冠様式でも美事にこなしてしまう器用さは、大正・昭和初期に活躍した建築家の中でも群を抜いています。弁舌は達者で筆も立ち、彼の論文は時代をリードするもので、名妓万竜との結婚など世間を騒がせるスター的建築家でもありました。昭和7年逝去されています。( 「新建築」1974年10月臨時増刊を参照)
<主な建築物>
1912(明治45年) 大阪市公会堂指名設計競技に参加、1等当選
1914(大正 3年) 刊誌「建築」の編集を担当
1921(大正10年) 大阪高島屋着工
1924(大正13年) 鳩山邸、青山会館竣工
1925(大正14年) 歌舞伎座竣工
1926(大正15年) 東京府美術館竣工
1927(昭和 2年) 府立第一高等女学校竣工
1928(昭和 3年) 明治生命館の指名設計競技で1等当選
1929(昭和 4年) 府立第一中学校竣工
1930(昭和 5年) ニコライ堂修繕、博報堂・信濃町教会竣工
1932(昭和 7年) 虎屋竣工、 死去(4月4日)
1933(昭和 8年) 山一証券竣工
1934(昭和 9年) 明治生命館竣工

参考文献】
・建築探偵日記:藤森照信
・近代建築ガイドブック:東京建築探偵団
・明治生命館のご案内:明治生命
・「新建築」1974年10月臨時増刊号

【見学について】
・三信ビル:東京都千代田区有楽町1-4-1
・明治生命館:東京都千代田区丸の内2−1−1(馬場先門前) 明治生命ホームページ

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