松本清張の「砂の器」をやっと終えましたので(三年かかった)、のびのびになっていました、「村上龍を歩く」を継続掲載します。前回は佐世保を歩きましたので、今週は昭和45年4月に上京してからを歩いてみたいとおもいます。
<龍がのぼるとき> 村上龍の親父、村上新一郎氏が、自らのことと、息子の龍について書いています。新一郎氏は高校の先生であり、なかなかの文章力です。特に面白く読ましてもらったところは、村上龍が群像新人文学賞を受賞したときと、芥川賞を受賞したときの場面でした。「…五十一年四月十日午後七時五十分、群像新人文学賞受賞のしらせが入った。しかし、私はちかごろ文芸雑誌はほとんど読んでいなかったし、その価値については賞金十万円也だけしか分らなかった。久しぶりに「生徒会長」に選ばれた息子の父親ていどの控え目な悦びだった。「いつの間に小説なんか書いていたんだろう? 美術大学は小説も教えるのか、へんな奴」 ところが、さっそく新聞に五段抜きで書きたてられ、「文学」にくわしい人たちから昂奮した電話がかかってきたりして、周囲が騒がしくなった。新しく赴任したばかりの児童文化館はマスコミのインタビュー会場になってしまった。私や妻は息子のことで電話や訪問者があると、こんどは何をしでかしたのかとおびえるようになっていたから「受賞」にうまく対応できずに、記者諸君から「もっと嬉しそうな顔をしてください」とカメラをむけられても、やはり「犯人の父」みたいな表情になりがちだった。……七月五日、夜八時すぎ、息子の彼女から涙声による「芥川賞」受賞の一報が入った。折しも一日おくれで米軍基地からは独立記念日の打上げ花火が景気よく炸裂し、私たち家族三人は七年間の屈辱の日々を吹き飛ばすように肩を組んで狂喜乱舞した。……夢ではないかとNHKの荒川アナウンサーのニュースの録音をきいて、やっぱりほんとだと確めたり。「スタジオ一〇二」に出て高梨、山根アナウンサーと話している息子をみて娘といっしょに「かっこいい!」と叫ぶ。TVの伝達力のすごさもよく分った。放映中からはやくも「いまうつっていますよ」「いま、みてます」と電話が殺到するのだ。食事も出来ないし、トイレにも行けない。……」。 大拍手しばし止まずですね!!学校を封鎖したり、停学になるような息子でも、かわいくてしかたがないようで、やっぱり男の子は親父に似るようです!
【村上龍】 昭和27年(1952)長崎県佐世保生れ。学校教師の長男。佐世保北高校卒業後、45年上京、横田基地近くの福生に住む。47年:武蔵野美術大学入学、現在、造形学部基礎デザイン科在学中。「限りなく透明に近いブルー」で第19回群像新人文学賞を受賞した。本名村上龍之介 (講談社「限りなく透明に近いブルー」より)
★左の写真が、村上新一郎氏の「龍がのぼるとき」の初版本です。絶版ですので、なかなか手に入りにくくなっています。
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