2004年の初回の掲載は「村上龍を歩く」から始めたいとおもいます。村上春樹の掲載を始めたときから、両村上で、村上龍を取り上げなくてはいけない、とおもっていたのですが、タイミングが遭わずに、2004年になってしまいました。今回の”村上龍取材”には全国の方々に協力して戴きました。ご協力頂いた皆様ありがとうございました。
<昭和51年上期芥川賞受賞> 村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞したときの衝撃を今でも覚えています。最初は、こんな小説が芥川賞かとおもったのですが、読んでいるうちに、のめり込んでいった覚えがあります。中上健次が村上龍との対談の中で、「…それで、きちんと僕はここへ出てきて批評しなくちゃいけないというのは、村上さんの小説で、これは十年前の新宿といってもいいんだけど、福生と新宿の違いみたいな形がある。僕も経験したことだけど。それを十年間のカルチャー・ラグとでも言おうか?(笑)大江・石原を第一のアプレゲールとすると、僕なんかが第二のアプレで君が第三のアプレ。(笑)村上 …………。(笑)…」、と発言しています。第三のアプレとは、”戦後の民主主義的人間の三番目のタイプで、資本主義的影響の濃いティーン・エイジャー等の若い世代”を表していると考えていいとおもいます。アプレとは、”戦後”と訳すのがピッタリです。中上健次と村上龍との対談本は、「中上健次VS.村上龍、俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて」、という角川の本で、途中から文庫本になり、「ジャズと爆弾」という名称に変わっています。再発行されておらず、中古市場でも数千円の高値が付いています。芥川賞に戻りますが、前年に中上健次が「岬」で芥川賞を受賞しています。下記に当時の紹介文を載せておきます。当時、第三のアプレにピッタリの小説家が出てきたという感じです。
【村上龍】 昭和27年(1952)長崎県佐世保生れ。学校教師の長男。佐世保北高校卒業後、45年上京、横田基地近くの福生に住む。47年:武蔵野美術大学入学、現在、造形学部基礎デザイン科在学中。「限りなく透明に近いブルー」で第19回群像新人文学賞を受賞した。本名村上龍之介 (講談社「限りなく透明に近いブルー」より)
★左の写真が、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の初版本です。発行部数が多いので手に入りやすいです。
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