今週は「村上龍を歩く」の三週目を掲載します。前回は昭和45年4月に上京してからを掲載しましたので今週は「限りなく透明に近いブルー」の原点になった米軍横田基地がある福生を歩いてみました。
<横田基地> 村上龍は上京してから、わずか6ヶ月で、東京23区内から都下福生市に転居します。福生市には米軍の横田基地があり、佐世保とはかなり雰囲気の近い町でした。「飛行機の音ではなかった。耳の後ろ側を飛んでいた虫の羽音だった。蠅よりも小さな虫は、目の前をしばらく旋回して暗い部屋の隅へと見えなくなった。天井の電球を反射している白くて丸いテーブルにガラス製の灰皿がある。フィルターに口紅のついた細長い煙草がその中で燃えている。洋梨に似た形をしたワインの瓶がテーブルの端にあり、そのラベルには葡萄を口に頬張り房を手に持つた金髪の女の絵が描かれてある。グラスに注がれたワインの表面にも天井の赤い灯りが揺れて映つている。テーブルの足先は毛足の長い絨毯にめり込んで見えない。正面に大きな鏡台がある。その前に座つている女の背中が汗で濡れている。女は足を伸ばし黒のストッキングをクルクルと丸めて抜き取った。……」、これは「限りなく透明に近いブルー」の書き出しです。彼の文章には、常に米軍の影が入っているようにおもえます。
【村上龍】 昭和27年(1952)長崎県佐世保生れ。学校教師の長男。佐世保北高校卒業後、45年上京、横田基地近くの福生に住む。47年:武蔵野美術大学入学、現在、造形学部基礎デザイン科在学中。「限りなく透明に近いブルー」で第19回群像新人文学賞を受賞した。本名村上龍之介 (講談社「限りなく透明に近いブルー」より)
★左上の写真は米軍横田基地の正門です。昨年8月に開催された横田基地日米友好祭開催の機会をとらえて写真撮影もおこなってきました。天候にも恵まれて大変な人出でした。
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