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最終更新日:2006年2月26日


●江戸川乱歩を歩く -名古屋編-
  初版2005年12月3日 
<V01L02>

 今週は「江戸川乱歩を歩く」に戻って掲載の三週目です。名張から亀山・津と歩いて、今回は旧制の小学校から中学校時代を過ごした名古屋を歩いてみました。



<貼雑年譜(はりまぜねんぷ)>
 江戸川乱歩ファンに限らず探偵小説ファンの方には有名な江戸川乱歩の「貼雑年譜」です。序に自ら、「時局のため、文筆生活が殆んど不可能となったので暫く休養する事にした。その徒然にふとこの貼雑帖を拵えて置くことを思ひ立った。探偵小説を書き出して以来折にふれて切取って順序もなくスクラップ・ブックに張りつけて置いた印刷物などを年代順に整理し、その他の古手紙、文反古の類などをもあさって、ごく大略ながら私の過去を描いて見た。日記というものを殆んどつけていない私にはこれが謂はば 四十七年菅野大ざっぱな日記である。印刷物と文反古による貼りまぜ自傳である。…」、と書いています。戦時中のなにも出来ないときに暇に任せて作ったのがこの「貼雑年譜」と言われています。私小説は普通書き物としてあるのですが、江戸川乱歩は、”図、絵、新聞の切り抜き、葉書など”で張り合わせて作っています。まさに現代の写真文化を先取りした書物です。原本は戦前の分が3巻、戦後から昭和37年までが6巻あり計9巻あるそうです。私は一部は見たことがありますが9巻全部は見たことがありません。

左上の写真は講談社から「江戸川乱歩推理文庫」の補巻として1989年刊行されたものです。私は古本で取得しました。この講談社版の「貼雑年譜」は最初の2巻を一冊に纏めたもので、江戸川乱歩の生誕から昭和16年頃までです。1989年に発刊されたこの本は絶版になり、古本でも倍以上の高値で取引されていましたが現在は再刊行されています(4200円、アマゾンで在庫がありました)。また1992年に東京創元社が「貼雑年譜」の完全復刻版の発行を企画しますが300部に達成せず未刊となりました。しかし2001年限定200部で発行されています(315千円、此方の方は在庫なし)。

【江戸川乱歩】
探偵小説家。本名平井太郎。三重県生れ。早大政経科卒業後、十数種の職業を転々、大正二一年四月「二銭銅貨」を発表し、衝撃的デビューを果す。筆名は推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーからとっている。代表作「パノラマ島奇讃」、「陰獣」、少年探偵団ものなどで圧倒的な人気を博し、一時代を築く。(河出書房新社「乱歩 打明け話」より)


江戸川乱歩の名古屋年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

江戸川乱歩の足跡

明治30年
1897
金本位制実施
3
4月 愛知県名古屋市園井町に転居
12月 名古屋市葛町に転居
明治31年
1898
イギリスが九竜の租借権を得る
アメリカがハワイを併合
4
5月 次男生まれる
名古屋市南伊勢町ぬ百二番戸に転居
明治33年
1900
義和団事件
6
8月 三男生まれる
12月 名古屋市栄町電車通に転居
明治34年
1901
幸徳秋水ら社会民主党結成
7
4月 名古屋市立白川尋常小学校に入学
6月 名古屋市南伊勢町二番戸に転居
9月 長女誕生
明治38年
1905
ポーツマス条約
11
4月 名古屋市立第三高等小学校に入学
12月 長女死去
明治40年
1907
義務教育6年制
13
4月 愛知県立第五中学校入学
大正元年
1912
中華民国成立
タイタニック号沈没
18
3月 愛知県立第五中学校卒業
6月 父経営の平井商店が破産し朝鮮に渡る
9月 早稲田大学政治経済学部予科に入学。下谷区湯島天神町の雲山堂に住み込む


名古屋市園井町>
 江戸川乱歩は父親の転職に伴い明治30年4月名古屋に転居します。「…明治三十年頃、東海紡織同盟会名古屋支部書記長に転じ、名古屋市の大きな家に住んで、事務員や書生を置き、事務所兼住居とした。そういう職についたのも父の商法の知識が物を云ったので、斡旋はおそらく関西大学時代の先生とか先輩であったと推察される。…」。お役所から民間への転職ですからかなり大変だったとおもわれます。

左の写真の付近が旧名古屋市園井町付近(現在の錦二丁目、錦通り付近)です。名古屋は戦後区画整理と道路拡張が進んで昔の面影が全くありません。名古屋市立図書館で調べたのですが名古屋市園井町は現在の中区錦二丁目、錦通り付近とおもわれます(貼雑年譜には東海紡績同盟会事務所、蒲焼町筋・島田町と桶屋町の間と書かれていました)。なにせ土地勘がありませんのでよく分かりません!!

名古屋市葛町>
 名古屋市園井町から名古屋市葛町に転居します。此方も貼雑年譜に簡単な地図が書かれているのみで、家の間取り図もありませんでした。東別院と西別院の西側しか分かりませんでした。名古屋市葛町で調べてみると、現在の中区松原三丁目付近で多分間違いないとおもいます。

右の写真は中区松原三丁目8番の松原公園です。この付近が名古屋市葛町でした。それにしても名古屋は旧町名がかなり無くなってしまっていますね。上記の園井町もそうでしたが、由緒ある地名が大雑把に纏められて丁目に変わるのは残念です。近頃、各地で旧町名が復活していますので、どうでしょうか!!

名古屋市南伊勢町ぬ百二番戸>
 平井太郎(江戸川乱歩の本名)の親父はだんだん出世していきます。「…やっぱり商法の知識のお蔭だと思うが、三、四年のうちには、当時名古屋市の大財閥であった奥田正香商店の支配人となり、又、名古屋商業会議所の法律顧問のような役目を兼ねた。…」。奥田正香とは”名古屋の渋沢栄一”と言われた人物です。元々は尾張藩士で、明治になってから味噌、醤油商で財を成し名古屋商業会議所会頭など歴任しています。平井家は後々東京に出た後も奥田正香の世話になります。

左の写真が現在の栄三丁目伊勢町通と三蔵通の交差点付近です。この付近が名古屋市南伊勢町ぬ百二番戸付近だとおもわれます。

名古屋市栄町電車通>
 平井家は名古屋の中でよく転居しました。明治33年には名古屋の繁華街である栄町の交差点近くに転居しています。地図からすると広小路通と大津通の交差点の広小路通付近だったとおもわれます。現在の丸栄スカイル付近です。

右の写真が広小路通と大津通の交差点の写真です栄交差点の向うに三越が見えます。丸栄スカイルは右側のビルです。


名古屋市南伊勢町二番戸>
 平井家はついに平井商店を開きます。名古屋時代の絶頂期でした。「…明治四十年には独立して、南伊勢町の当時の株式取引所の前に平井商店を開き、請機械輸入販売、石炭販売、外国保険会社代理店を営み、十余名の店員を置いて、一時はなかなか派手な商売をした。一方、奥田商店支配人時代から、自宅で特許弁理士を開業、これが名古屋最初の弁理士だったので、大いに繁昌していたが、平井商店を開いても、この弁理士業を兼営していた。自宅もやはり南伊勢町にあり、商店とは半丁もへだたっていなかったので、父は両方かけもちで仕事をしたのである。商店には支配人がいたし、弁理士の方にも事務員や製図家がいたので、父は方針さえきずければよいのだったが、それにしても、面会、出願書の口述、手紙の口述、商店の方の来客との応接、店員人一人への指示、等々、よくもあんなに八面六臂に働けるものだと、人々を感心させたものである。…」。上手くいくときはどんどん行くものです。

左の写真が丸栄本店と丸栄スカイルの間の道、伊勢町通から名古屋証券取引所を撮影したものです。「…私の父の店は名古屋市の元の株式取引所の前にあったので、そこに並んでいる株式仲買人(今の証券会社)の子供たちとよく遊んだ。…」。と書いていますからこの左側付近かなとおもわれます。

愛知県立第五中学校>
 江戸川乱歩の通った学校を掲載します。「…おやじのチョッキを着て、サーベルをさげて、友達一人なく、独りぼっちで威張っているうちに、学齢が来た。名古屋市白川尋常小学校である。それから、大根畑の熱田中学第一回卒業生である。かけ足がゾツとする程いや。器械体操のかいもくできない弱虫。その上内気者のにやけ少年。強い奴にいじめられるために生れて来たような男。で、学校は半分くらい病気欠席。…」。小学校は名古屋市白川尋常小学校(現在は無い)、名古屋市立第三高等小学校(現在は無い)、中学は愛知県立第五中学校(第五中学は熱田中学となり現在は愛知県立瑞陵高等科学校です)です。

右の写真が現在の愛知県立瑞陵高等科学校です。名古屋市白川尋常小学校、(白川公園の前付近)名古屋市立第三高等小学校の(松坂屋本館裏のエンゼル広場付近)の在った場所の写真を掲載しておきます。

幸せの後には不幸がきます。「…明治四十五年に不況時代が来た。あてにしていた入金がなく、手形の書きかえができないようなことが続出し、僅か五年にして、平井商店は破産し、私たちは一夜にして一文なしになってしまった。父は涙を流して私たちにお詫びを云った。それが私の中学卒業の年であった。近くの八高の入試を受けるつもりで、受験票ももらっていたのだが、文なしになっては官立学校へは入れないので、思い切った。そして、父と一緒に朝鮮に高飛びした。僅かに残った資金で荒蕪地の開墾をやろうというのである。…」。この後、平井太郎(江戸川乱歩)は東京に向かいます。

次週は東京を歩きます。

現在の名古屋地図 -1-


江戸川乱歩の参考図書(お問い合わせが多いのでAmazonにリンクしました)






【その他参考文献】
・私の履歴書:江戸川乱歩、日本経済新聞社
・まんだ:まんだ編集部
 


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