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最終更新日:2006年2月22日


●江戸川乱歩を歩く -亀山・津編-
  初版2005年11月19日 
<V01L01>

 今週は「江戸川乱歩を歩く」掲載の二週目です。江戸川乱歩は生まれてから一年足らずで名張から亀山に転居します。亀山市と本籍のある津市を歩いてみました。



亀山駅>
 先週も書きましたが、JR関西本線(湊町−名古屋)は当初は私鉄の関西鉄道として誕生します。名古屋〜大仏〜湊町間が開通したのが明治33年(1900)です。当初は、四日市〜拓植(亀山と伊賀上野の間にある駅)間が明治23年(1890)開通し亀山駅も同時に開設されます。江戸川乱歩一家(平井家)が亀山に転居した明治28年には、11月に四日市、亀山まわりの名古屋〜草津間が全通しています。大阪〜名古屋間よりも草津〜名古屋間の方が先に開通しています。関西鉄道が国有化されたのは明治40年(1907)です。

左の写真がJR関西本線亀山駅です。亀山駅は関西本線と紀勢本線の分岐駅で、西は奈良、南はお伊勢さんとなります。昔から東海道の宿場町として栄えた城下町で、駅前には日本武尊をまつる能褒野神社の大鳥居が建っています。能褒野神社は亀山駅からは6〜7Km程あり、なんでこんなに遠い神社の鳥居があるのか分かりません。

【江戸川乱歩】
探偵小説家。本名平井太郎。三重県生れ。早大政経科卒業後、十数種の職業を転々、大正二一年四月「二銭銅貨」を発表し、衝撃的デビューを果す。筆名は推理小説の始祖エドガー・アラン・ポーからとっている。代表作「パノラマ島奇讃」、「陰獣」、少年探偵団ものなどで圧倒的な人気を博し、一時代を築く。(河出書房新社「乱歩 打明け話」より)


江戸川乱歩の名張、亀山年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

江戸川乱歩の足跡

明治27年
1894
日清戦争
0
10月21日 父平井繁男、母きくの長男として三重県名張郡名張町新町で生まれる
明治28年
1895
日清講和条約
三国干渉
1
6月 三重県亀山町市ヶ坂に転居
10月 亀山町内で転居
明治30年
1897
金本位制実施
3
7月 愛知県名古屋市に転居


亀山町市ヶ坂>
 江戸川乱歩は明治28年6月、名張から亀山に転居します、「…私が生れると間もなく、父は同じ三重県の鈴鹿郡書記に転じ、亀山町に移り住んだ。…」。転居先の市ヶ坂町は現在でも同じ町名が存在しますので、間違いないとおもいます。

左の写真の付近が現在の三重県亀山市市ヶ坂付近です。番地が分からないので詳細の場所は不明です。貼雑年譜にも家の見取り図が書かれていますが番地は書かれていませんでした。

権現社のそば (1.亀山神社?)>
 亀山で次に転居したのが三重県亀山町南(或は北)です。「…高台に町があった。そこの石の鳥居のお宮さんに、祖母と遊んでいると、下の方からピイッと笛の音がして、おもちゃみたいな汽車がゴーッと走って行った、それがこの世で最初の記憶。二歳、伊勢の国亀山町在住の頃である。…」。”三重県亀山町南(或は北)”は貼雑年譜に書かれていました。また貼雑年譜には”権現様に近く駅にも近し”(原文のまま)とも書かれていましたので、このお宮様(権現様?)は亀山城跡にある亀山神社ではないかと推測してみました。

右の写真は亀山城跡にある亀山神社です。貼雑年譜にはもう一つ書かれていました。付近の地図です。権現様に向かってT字路の地図でしたので今の地形とも合っていました。ただ、亀山神社は本当に権現様??

権現社のそば (2.石上寺?)>
 亀山の権現様を探してみました。私は土地勘が全くないので亀山市立図書館で尋ねてみました。「…あとから考え合わせると、それは彼の二歳の時の記憶であった。最初に大きな石燈寵が現れる。その燈寵の段々になった四角な台石の下から二段目に、きめが細かくて非常にもろい砥粉のような、しかし少し赤茶けた土の塊が幾つか載っている。小さい手が、その土の塊を小石で粉々にくだいている。…… その景色は三重県亀山町の高台の上にある権現様の社の石燈籠であったことが思い合わされる。彼の両親の家はその社のすぐ側にある藁葺屋根の家で、祖母は彼をおぶって、毎日のようにその権現様へ遊ばせに行ったのだということである。権現様の境内の一方が深い崖になっていて、下は見渡す限りの田圃、その田圃の中を遥かにおもちゃのような汽車が走って行く。ピーッピと可愛らしい汽笛を鳴らして走って行く。彼はその汽車を見ることが、何よりも好きであったということだ。…」。亀山で権現様というと和田町の石上寺のことではないかと言われました。

左の写真が和田町の石上寺です。石上寺は延暦15年(796)に新熊野三社の神宮寺として開創されますが信長の伊勢攻略で焼かれています。現在も寺の中に熊野大権現があります。また、”権現様の境内の一方が深い崖になっていて”、も同じように崖になっていました。しかしながら亀山駅からはかなり遠いです。一般的には亀山神社なのでしょうね…‥

現在の亀山市地図



平井家の菩提寺>
 江戸川乱歩の本籍は三重県津市にあるそうです。「…私の父、平井繁男は慶応三年二月三日、三重県津市において、七代、杢右衛門陳就とその後妻和佐との間に生れた。…… 祖父の正妻は藤堂家の息女で、文久三年に穀している。私の祖母は京都の寺侍の本間氏の娘で、祖父が大和奉行在勤中に娶られたものだが、殿様の息女のあとを襲うことを遠慮して、当時の仕来りとして妾と名づけられていた。しかし事実は後妻なのである。そういうわけで、父には正妻の腹の兄や姉がたくさんあった。その長男は平井陳常というもので、八代目をついだが、その陳常の孫が平井進といって、今も津市に在住し、これが私の本家なのである。…」。平井家のお墓を津で探してみました。

右の写真が江戸川乱歩が昭和26年に作った平井家のお墓です。津市乙部の浄明院に平井家のお墓がありました。お墓には昭和26年、東京都住、平井太郎建と書かれていました。江戸川乱歩の現在のお墓は多磨霊園にあります。

次週は名古屋を歩きます。

現在の津市地図


江戸川乱歩の参考図書(お問い合わせが多いのでAmazonにリンクしました)






【その他参考文献】
・私の履歴書:江戸川乱歩、日本経済新聞社
・まんだ:まんだ編集部
 


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