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最終更新日:2006年2月23日

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●「東京物語」の東京を歩く  2001年11月10日 <V02L03>

tokyo-mono50w.jpg 先週の”三人の作家の浅草を歩く”は少し置きまして、今週は趣を変えて小津安二郎監督の「東京物語」の中で東京ロケが行われた所を歩いてみたいと思います。版権の関係で東京物語の写真は掲載できませんのでご容赦下さい。次回は尾道を歩きますので乞ご期待下さい。

<小津安二郎>
 明治36年、東京市深川区万年橋に五人兄弟の次男として生まれます。小学校まで東京で育ち、その後 父の故郷 三重県松阪市に移ります。三重県立第四中学校(現在の宇治山田高校)を卒業、三重県飯南郡の尋常小学校の代用教員を務めた後、大正12年上京します。昭和3年、叔父のつてで松竹キネマ蒲田撮影所に撮影助手として入社します。昭和2年8月監督に昇進、「懺悔の刃」で初監督。戦時中は軍部の指示によりシンガポールで戦争物の映画を撮っていました。戦後は、「晩春(昭和25年)」、「麦秋(昭和26年)」、「東京物語(昭和28年)」と次々に名作を発表し、日本映画界を代表する巨匠となります。昭和33年、「東京物語」が、ロンドン映画祭で第一回サザランド杯受賞。昭和38年12月12日、60歳の誕生日に逝去。お墓は北鎌倉の円覚寺にあります。

左の写真は「東京物語」のポスターです。映画はモノクロですがポスターは手書きのカラーです。面白いですね。

<東京物語ストーリ>
 この作品は尾道の風景から始まります。尾道に住む平山周吉70歳(笠 智衆)と、とみ67歳(東山千栄子)が、東京で暮らす子供たちの所へ旅をする話です。東京で病院を営んでいる長男幸一夫婦(山村聡、三宅邦子)や美容院をやっている長女志げ(杉村春子)、戦死した次男昌二の未亡人で28才の紀子(原節子)の所に遊びに行きます。しかし子供たちはそれぞれの生活、仕事を持っており、なかなか老夫婦の面倒を見ることができません。唯一東京見物につきあってくれたのは血のつながりのない戦死した次男昌二の未亡人紀子(原節子)でした。それでも二人は元気で働いていている子供たちを見て安心して東京を去ります。しかし とみが帰りの列車の中で体調を崩し尾道に帰ってから死去します。子供たちは”母危篤”の電報で尾道に呼び戻されます。葬式の後、子供たちはそれぞれの仕事に戻っていきます。

tokyo-mono18w.jpg<八広駅(旧荒川駅)>
 「東京物語」の始まりは当然尾道の風景からですが、笠智衆 東山千栄子が東京に出てくる場面では、小津安二郎監督のいつもの手法で、必ず最初に東京を表わす場面が登場します。東京を表わす場面では普通は銀座や上野、浅草辺りなのですが、どういう訳か東京の下町の雰囲気が出る下記の3場面となっています。

左の写真はカノチョパ様よりお借りした1987年11月(昭和62年)の京成電鉄荒川駅の写真です。まだ東京物語の雰囲気がある駅ですね。昭和62年当時の駅全体の写真もお借りしておりますので見て下さい。

tokyo-mono02w.jpg左の写真は高架になった現在の京成押上線「八広駅」で、荒川の土手の上から撮影しています。昔は荒川の土手の高さと同じで土手の道に踏切があった様です。

下記のの四本エントツとは、おばけエントツとして有名だった北千住の東京電力千住火力発電所のエントツのことで、高さ84mという巨大な煙突が四辺形に4本林立していました。私も小さいときに見た覚えがあります。見る方向によって一本から四本まで本数が変わります(ようするに重なって見えるわけです)。既に取り壊され、現在は東京電力足立支社になっています。撮影は尾竹橋付近で撮ったかと思いま す。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
エントツのある風景 南千住火力発電所四本エントツ情景、南千住変電所、尾竹橋付近
私鉄の駅の風景 京成電鉄荒川駅とその付近
平山医院の看板が掛かった風景 京成電鉄荒川駅付近の荒川土手の上
とみと平山家の子供たちが遊ぶ 千住大橋付近土手情景

tokyo-mono08w.jpg<銀座四丁目>
 東京に出てきた二人は自分たちの子供たちが相手をしてくれないので、戦死した次男昌二の未亡人(原節子)と”はとバス”で東京見物に出かけます。その途中の風景が下記の場面です。はとバスに乗っている3人の座っている位置が面白く、老夫婦は、バスの真ん中の通路を挟んで両側に座っています。原節子はその後ろに座っています。誰が考えたのでしょう!

右の写真が銀座交差点、銀座通りの地下鉄の入口から和光方面を見たものです。”はとバス”ですから、映画ではもう少し視線の高い風景になっていたと思います。丸ビル界隈も同じような風景で す。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
はとバスからの丸ビル風景 はとバス内 丸ノ内情景
はとバスからの銀座の風景 はとバス内 銀座情景

tokyo-mono10w.jpg<松屋屋上>
 はとバスの途中か、バスを降りてからかは分かりませんが二人と原節子が百貨店の階段を上がり屋上で風景を見る場面があります。当時は昭和28年で、銀座辺りでも高いビルは無く、結構眺めが良かったのだと思います。

左の写真が銀座松屋の旧館屋上の写真です。映画では階段を上がっていくのですが、その当時の撮影に使われた階段は左の写真のMATSUYA GINZAと書いてある大きな看板の後ろにあります(当時は看板は無かった)。この階段を上がって屋上で眺めていたわけです(今では鍵がかかって上に登る事も出来なくなっていました)。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
百貨店屋上 松屋銀座デパート屋上

tokyo-mono12w.jpg<上野寛永寺 旧本坊表門>
 子供たちは自分たちが二人の相手をすることが出来ない為、ふたりを熱海の温泉旅館に行かせます。しかし老夫婦は一日で熱海から帰ってきてしまいます。泊まる所が亡くなった二人は上野の街を歩きます。

右の写真が現在の寛永寺旧本坊表門です。写真の右側に新しく柵が出来ており、本坊表門には正面からは入れなくなっていました。撮影当時はなかったようです。左側の石積は昔のままです。このあと西郷隆盛像の前辺りから上野の街を眺めます。映画では遠くにビルが一つだけ見えるのですが、今ではビルばかりで撮影方向がよく分かりません。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
寛永寺旧本坊表門 同じ場所です
上野公園 西郷隆盛像の前辺り

この翌日、二人は東京21時発の呉線経由広島行き、普通急行安芸で尾道へ帰っていきます。尾道の紹介は次回に行います。
 

「東京物語」地図
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【参考文献】
・監督小津安二郎:蓮實重彦、筑摩書房
・小津安二郎 東京物語:リブロ・シネマテーク
・小津安二郎 東京物語:ビデオ、松竹
東京映画名所図鑑:富田均、平凡社

【住所紹介】
・京成八広駅:東京都墨田区八広6-25
・銀座交差点:東京都中央区銀座交差点
・松屋銀座:東京都中央区銀座3-6-1 ??03-3567-1211

●「東京物語」の尾道を歩く  2001年11月17日 <V01L03>
tokyo-mono30w.jpg 先週に続いて小津安二郎監督の「東京物語」から、尾道のロケ地を中心に歩いてみました。版権の関係で東京物語の写真は掲載できませんのでご容赦下さい。”小津安二郎”及び”東京物語ストーリ”は先週分に掲載済みです。

<尾道と映画>
 尾道と映画というと、私の年代の人は小津安二郎の「東京物語」になるのでしょうが、今は大林宣彦監督の尾道三部作(「転校生」「時をかける 少女」「さびしんぼう」)、新尾道三部作(「ふたり」「あした」「あの、夏の日」)となるそうです。「転校生」「時をかける少女」位までは私でもついていけそうです。また尾道といえば数多くの由緒ある寺があり、林芙美子、志賀直哉等の文人が住んだ街でもあり、多くの映画・TVの舞台ともなっています。海と山に囲まれ、街自体も大きくなくて、ノンビリ歩ける数少ない所だと思います

左の写真は現在の「尾道駅」で後の山は千光寺山です。東京物語の頃は古い駅舎で、もう少し趣が有った様です。駅前も整備されて、しまなみ交流館やウオーターフロントビル等というの大きなビルばかりでした(新幹線の駅がないのはいい)。せっかくの尾道なのに大いに残念な気がします(東京人の感覚とは違うんでしょうか、どう見ても尾道に大きなビルは似合いません!)。尾道を廻るには貸し自転車がベストです。しまなみ交流館の先の駐車場で借りれますので、一日ゆっくり廻わって下さい。それと、しまなみ交流館の一階に観光案内所があります。そこで尾道の観光地図と”東京物語のロケ地MAP”をコピーして頂きました、親切なお嬢さん、ありがとうございました。

tokyo-mono31w.jpg<住吉神社>
 「東京物語」の始まりは当然尾道の風景からですが、住吉神社の石灯籠のアップから始まります。映画では灯籠の後ろに桟橋が見えたのですが、今はもうありません。又住吉神社の周りに柵が出来て、当時とはかなり変わっており、同じなのはこの石灯籠のみでした。

左の写真が住吉神社の石灯籠です。映画では海に向かって撮影していますが、左の写真は横から撮影しています(逆光と柵の為、横からしか撮れませんでした)。灯籠の他に桟橋の風景もでてきます。当時の桟橋は変わってしまっていますが、この住吉神社を少し尾道駅に行った所ににあります。尾道駅の前に有る桟橋が当時の雰囲気と同じでしたので撮影しておきました。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
尾道の風景(石灯籠) 住吉神社付近(石灯籠)
尾道の風景(港町付近倉庫) 「魚信」から東方向を撮影
中央桟橋 中央桟橋

tokyo-mono32w.jpg<浄土寺>
  尾道での「東京物語」の主要な場面はこのお寺です。周吉(笠 智衆)と紀子(原節子)が尾道水道を眺めながら語っている場面は印象的ですね。山が海に迫っていて、向こうには向島が見える場所ならではの風景です。「東京物語」で撮影している灯籠等の場所が少し替っていました。全く同じ写真が撮れなかったのは残念です。浄土寺の山門から鉄道と尾道水道の場面や浄土寺山門前の小道は大林宣彦監督の尾道三部作にも、たびたび登場する有名な場所です!

右の写真が浄土寺の入口の交差点です。信号を渡って浄土寺の前の道は国道2号線で、国道からはJR山陽本線をくぐって階段を上がると山門です。「東京物語」ではここから汽車も撮影しています。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
尾道の風景(町並とお寺) 浄土寺遠景
尾道の風景(列車) 浄土寺から鉄道を撮影
尾道の風景(お寺の境内) 浄土寺境内

tokyo-mono42w.jpg<竹村家>
 「東京物語」の最後の方に、とみ(東山千栄子)の葬式が終わって、海岸通りの古い料理屋の二階で食事をしている場面があります。この料理屋が現在の竹村家です。料理屋の二階縁側から(提灯が飾ってある)尾道水道を映す場面がありますが、尾道の雰囲気を良く出している場面だと思います。竹村家は尾道で最も歴史ある割烹旅館だそうで、時間があればゆっくり泊まってみたいと思っております。

左の写真が竹村家です。建物の向こう側は尾道水道で、部屋からの眺めは絶景だと思います(実際に見ていないので分かりません、ごめんなさい)。この竹村家から少し市役所の方に歩くと、数寄屋造りの料亭旅館「魚信」があります。「魚信」の先には左側に尾道市役所、右側に「おのみち映画資料館」があります。こちらの方は大林宣彦監督の尾道三部作に登場します。

※竹村旅館を竹村家に訂正、2002/7/9

《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
料理屋の2階からの海の風景 竹村家二階縁側からの尾道水道の情景

tokyo-mono37w.jpg<筒湯小学校跡>
 葬式の後、紀子(原節子)が帰京の最後の人になる訳ですが(長男、長女、二男は既に帰京)、残っているのは周吉(笠 智衆)と末娘の京子(香川京子)だけになり、紀子(原節子)と京子(香川京子)が分かれる場面の後、京子(香川京子)が勤める小学校の校舎から紀子(原節子)の乗る列車を眺める場面があります。この場面に登場する小学校が筒湯小学校です。現在は残念ながら廃校(2000年3月)になっていますが、鉄筋コンクリートの校舎が残っていました(もちろん当時は木造の校舎でした)。

右の写真が現在の筒湯小学校跡です。この小学校は、浄土寺の山門の前の道を右手に数百m登った所にあります。この筒湯小学校の坂道を紀子(原節子)が歩いていますので、私も歩いてみました。


《蓮實重彦「監督 小津安二郎」の付録3の撮影記録から》

東京物語での風景 実際のロケ現場
小学校の窓から見送る 筒湯小学校で撮影

以上 で”「東京物語」を歩く”を終わります。まだ不十分な所もありますので、時間をかけて更新していきます。

大林宣彦監督の尾道三部作も何処かで特集を組みたいと思います。
 

「東京物語」尾道地図
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【参考文献】
・監督小津安二郎:蓮實重彦、筑摩書房
・小津安二郎 東京物語:リブロ・シネマテーク
・小津安二郎 東京物語:ビデオ、松竹
東京映画名所図鑑:富田均、平凡社

【住所紹介】
・住吉神社:広島県尾道市土堂2-10-12
・浄土寺:広島県尾道市東久保町20-28 ??0848-37-2361
・竹村家:広島県尾道市久保3-14-1 ??0848-37-1112
・筒湯小学校跡:広島県尾道市東久保20-14


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