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最終更新日: 2017年12月02日

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●「成城だより」を歩く (上) 初版2001年6月9日 <V03L02>

今回は”大岡昇平”の「成城だより」に沿って成城学園の町並みを歩いてみたいと思います。「成城だより」は、たまたま「銀座百点」を読んでいましたら紹介されていたので、本屋で買って読んでみたわけです。小田急の成城学園前駅を下りると、この本が持っている成城という独特の雰囲気が漂ってきます。特に、成城マダムというか、ここに住まわれている奥様方の雰囲気が違いますね!!

 「十一月の新年、十一月八日 木曜日 晴
「群像」新年号に「草枕」についての論文五十枚渡す。・・・ 新年号原稿かなりあり。一度にはむりなので、九月から下書きが書溜めてあったが、最後の仕上げに結局手間取る。オーバーワークなり。寒波到れば、昼間のあたたかい間しか坐れなくなる不安あり。このところ暖かい日が続くのでたすかる。一時半、昼食を食べかたがた、駅前まで散歩する。成城へ越して釆て、もはや十一年である。一九七六年来、白内障手術、二度の心不全発作で、老衰ひどく、運動は散歩だけとなる。それも駅まで十五分の距離で疲れる。往復できず、帰りはタクシーとなる。駅までの通りの家、建て替り多し。教会のようにガラス窓を二階まで通した家あり、料亭のような和風家屋、車を軒下に引き込んだ能率的な現代的建築もあり、面目一新して、眼を楽しませる。」
は大岡昇平の「成城だより」の書き出しです。「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」などで戦争と人間を描き、一方で、戦後風俗をとらえてスタンダール風の恋愛小説「武蔵野夫人」「花影」などを発表し戦後文学に大きな足跡を残した作家です。「成城だより」は昭和55年から雑誌「文学界」に連載され、文芸春秋から昭和55年〜57年に出版れています。私は今年3月に講談社文芸文庫として復刊したものを読んだもので、小田急沿線の高級住宅街「成城」の町並みを見事に表現していますが、日記というよりは文芸評論、政治評論と言う方がぴったり会っている様に思います。一度読んで頂いた方が良く理解して頂くと思います。

左の写真は小田急、成城学園前駅の北口を下りた所から撮影したものです。右側が輸入品で有名な高級スーパー、成城石井です。駅前は雑然としており、東急田園調布駅のロータリーがある高級住宅街の駅前の雰囲気はありませんが駅を少し離れて歩くと、桜並木の高級住宅街が現れ、住まわれている人の品のよさが漂ってきます。

seijyou2w.jpg<駅前のそば屋>
「八日 土曜日 晴、暖かい日続く。昼食のため駅まで散歩。ザル一枚。駅前には古きソバ屋があったが、そこは昨年よりホットドッグ・セルフサービス店となり、地下に少しうまい別のソバ屋できる。一四時でも一杯。女の子一人のサービスで、おそくなる。客には私のような老人、中年者多く、「シルが足りないっていってるんだよ、早く持って来い」など大きな声を出す者あり。中老年は醜きかな。」と駅前のそば屋のことを書いています。このそば屋は「きぬた屋」さんで、残念ながら今年の5月末で閉店しています。創業70年たったそうです、少々残念ですね。一階のホットドック屋も「TO THE HERBS」いとうCAFE、PIZZA、PASTA屋に変わってしまっています(このお店は今日現在まだ開店していませんでした)。又別の駅近くのそば屋では「新築らしいそば屋に入るに、こっちはショルダーバッグに、ステッキ持っている。二つの席を占拠する必要あり、あいてる四人がけのテーブルに坐らんとすれば「お一人ですか、そんならこっちへ」と狭いスタンドへ誘わる。むっとして「客に坐るところ指図する奴があるか、どこへ坐ろう とおれの勝手だ」といって立つ。」と大岡昇平もまだまだ若いですね。

右の写真の丁度左の所が駅前ビルの地下のそば屋の有った所です(現在は閉店)。写真右側が「成城学園前駅」です。

seijyou7w.jpg<マダム・チャン飯店>
「花便り 四月三日 木曜日 晴、平野謙の三回忌。ただし先月末、埴谷雄高より電話あり、「近代文学」同人だけにて行うとのこと。生前は退院祝などに成城より水上勉、大江健三郎と私が参加し、成城南口のマダム・チャン飯店にて飯を食う慣しだったが、こん後、成城組は一括排除する由。喜多見の平野邸にて仏事を営みて後、やはりマダム・チャンに行くが、夜に入るから、病身のお前は風邪を引いてはいけないからよせ、成城組は全部呼ばないことにするからひがむなとの断りなり。」とあります。成城学園前駅の南口は、北口に負けず劣らず、狭くて雑然としていますが、50mも歩くと、高級な住宅街が広がっています。その境目に「マダム・チャンホームキッチン」のお店があります。大きなビルですのですぐに分かります。”大江健三郎”の長男ヒカルのことを書いた小説「静かな生活」の収められている「小説の悲しみ」で登場する張夫人飯店がこの「マダム・チャンホームキッチン」ですので、かなり有名なお店です。

左の写真が「マダム・チャンホームキッチン」のお店です。私が写真をとっている間もお客様がどんどん入っていましたので、味の方もかなり有名な中華料理屋さんではないかと思います(上海料理というのがこの店の特徴、料理には植物油を使用しているので、しつこくないそうです、なかでもぜひ試したいのは、中国から直輸入した北京ダックだそうです)。残念ながら私はまだ試食していません。

seijyou3w.jpg<大岡昇平>
明治42年(1909)に東京牛込に生まれています。成城高校に在学中、小林秀雄、中原中也、河上徹太郎らと知り合い文学の道に進みます(中原中也と小林秀雄は女優長谷川泰子を取り合った中です)。京都大学仏文科入学後、一時神戸の「帝国酸素」に就職(このころスタンダール研究家として知られる)その後、中原中也らの「白痴群」に加わります。昭和19年(1944)、35歳で召集され、フィリッピン・ミンドロ島に派遣され、翌20年米軍の捕虜となり、終戦後復員しています。捕虜になってから復員するまでの体験記「俘虜記」(昭和23年)を出版、昭和26年には“人間の肉を食う”ことをテーマの小説「野火」を出版、昭和42年からは日米双方の兵士たちの戦いを描いた長編戦記「レイテ戦記」に取り組み、昭和46年に出版しています。一方、戦後風俗をとらえたスタンダール風の恋愛小説「武蔵野夫人」「花影」などをつぎつぎに発表、評伝「中原中也」「富永太郎」、歴史小説「天誅組」「将門記」など幅広い創作活動をつづけていました。昭和46年、芸術院会員に選ばれましたが「元捕虜」を理由に辞退されています。昭和63年(1988)の暮れ、昭和から平成に変わる僅か12日前の12月25日、突然の脳梗塞発作で死亡しています。

右の写真が大岡昇平のご自宅です。「成城学園前駅」からは歩くと15分以上掛かります。水上勉氏のご自宅が駅近くにありますので、少し遠いイメージです。

【参考文献】
・成城だより(上、下):講談社文芸文庫、大岡昇平
・銀座百点:銀座百点会
・文人悪食:新潮文庫、嵐山光三郎


●「成城だより」を歩く(下) 初版2001年8月18日 
 大岡昇平の「成城だより」は上巻と下巻に分かれており、今回は下巻に沿って歩いてみたいと思います。下巻は昭和60年(1985)頃の成城を良く表現しているように思います。

<成城堂書店>
成城堂書店は成城大学の丁度正門前にあります。「成城だより」では度々出てきますが、下巻では「五月一日 水曜日 晴、暑、24.7度。2度寝。「堺港擾夷始末」40枚。午後3時半、中公高橋君に渡す。遅々として進まず、三回にして計150枚弱。やっと2月15日の事件前夜、土佐藩堺 … レコード店「ポプラ」に寄り、初期ロック「村八分」などの復刻売り出しありとのうわさを確かむるに、なし。アシュケナージのモーツァルトのピアノ・コンチェルトK482を買うに終る。大学前の成城堂にて、偶然目につきし『フィリッピンの民間説話』(M・C・コール、荒木博之訳、岩崎美術社)を求む。民俗民芸双書の一にして1972年初版、1980年の第三版なり。案外売れている。…」とあります。駅前にも本屋がありますが、大学の前にあるので専門書もそれなりに揃っていて便利なのでしょう、かなり人が入っていました。

左の写真が成城堂書店です。駅からは5分くらいの距離で、学生には便利な本屋さんではないでしょうか。
seijyou23w.jpg<伊勢屋>
「九月八日 日曜日 晴、娘と息子、〇九〇〇来る。日曜なれば正午ごろまでに成城に帰らないと道がこむ。荷作りは完了しあり。老妻と娘の車は、入間町三船プロ附近の神戸屋のパン、仕入れて帰る。ついでに伊勢屋のアンコロ餅と大福を買って来るのがいけない、糖尿病患者には毒薬と同じ効果を有す。…」とあります。大岡昇平は昭和37年(1966)に富士北麓、河口湖の南6?qの山中に避暑用の山小屋を建てているのですが、7月に出かけて9月には成城まで車で戻ってきます。その途中のことを書いたのが上記です。国道20号の甲州街道を仙川で右折して入間町、三船プロダクション前を通り自宅まで帰ります。その途中に神戸屋、伊勢屋が有るわけです。私も伊勢屋の大福餅を買って食べましたが、あっさりした味で、これって成城風なのでしょうか!

右の写真が伊勢屋さんです。成城とは思えない風景ですね。成城の隣なのですが場所が調布市入間町で、成城とは似ても似つかない所です(下町風ですね)。

seijyou14w.jpg<水上勉宅>
成城には文士のお宅がたくさんあります。成城自体が有名になる前に買われた方が多いのだと思います。ここに紹介します水上勉もその一人です。「…新しい家は、成城六丁目でも小田急線駅に近く、歩いて三、四分の場所が気に入ったのと、先にも述べたように、ホテルや旅館で仕事をするくせになっていた私には居宅に執着する理由はなかったのだが、こんどの家は庭も広くて階下四部屋、二階二部屋の間取りも気に入った。しかし、成城と聞くと、高級住宅地のイメージがつよく、「おれも偉くなった気がするなあ」といった怖じ気も生じないとはいえなかった。 … 一つは大岡昇平氏の訪問であった。実証派で、しかも成城のことには詳しかった先生は、桜の下にどれどれと佇まれ、「なるほど、らいてう邸の庭続きだ」とおっしゃったことから、その桜を「らいてう桜」と我が家では呼ぶようになった。…」は水上勉の「私版 東京図絵」"成城六丁目の家"書かれています。詳細は『水上勉、「私版 東京図絵」散歩』に続編として載せたいと思います。その他の文士では大江健三郎宅が有名ですね。

左の写真が水上勉宅です。百八十坪もある敷地に、芝生の庭があり、この家の庭が旧平塚らいてう邸の裏庭に通じていたようです。

【参考文献】
・成城だより(上、下):講談社文芸文庫、大岡昇平
・銀座百点:銀座百点会
・文人悪食:新潮文庫、嵐山光三郎
・私版 東京図絵:朝日文庫、水上勉

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