
今回から中央公論社版の「大岡昇平全集」を参照しながら歩きます。大岡昇平全集は昭和50年に中央公論社版、昭和58年に岩波書店版(初期の間違いは修正されています)、そして最後の筑摩書房版が平成7年に出版されています。年譜は初期の中央公論社版が一番詳しく書かれていました(間違いがあるので岩波書店版と見比べる必要あり)。
「… 昭和四年(二十歳)、京都大学文学部に入り、フランス文学を専攻した。京大を選んだのは、両親の膝下を離れたいというのも一つだったが、一つにはしばらく中原との交際を避けたいということもあった。当時中原は中野辺の下宿にいたが、毎日のようにやって来て、酒を飲んで、説教するので、まだどうしたらいいかわからない
僕には、やり切れなかったのだ。…」。
大岡昇平が入学する前年の昭和3年(1928)には、マルクス経済学者の河上肇教授が文部省からの辞職要求により大学を追われる事件が起こっています。「滝川事件」は昭和8年(1933)のことです。暗い時代の始まりです。
★左上の写真は京都大学正門です。京都帝国大学時代から変わっていないと思います。第三高等学校はこの反対側になります。戦後の昭和22年には名称が京都大学になり、昭和24年、第三高等学校が京都大学に吸収されます。