
大岡昇平は昭和23年1月、東京都小金井市の富永次郎(富永太郎の弟)宅に寄寓しますが、12月には鎌倉の小林秀雄宅の離れに移ります。
「… 戦後、昭和二十三年十一月から翌年の四月まで、私は小林さんの雪ノ下の新居の、離れに同居させてもらった。
彼はその頃はハイゼンベルクと不確定原理について考えていた。私は日本文学がこれら現代科学の成果をその技法に取り入れないのはへんだ、というほど軽薄であったが、小林さんがどう思っていたかは知らない。われわれの心理はもともと不確定なものだが、ハイゼンベルクのいう意味で不確定であるかどうかはわからないだろう。
中林さんはまた量子力学にはリアリティがあるといっていた。…」。
「『本居宣長』前後」からです。鎌倉の小林秀雄宅に移った経緯については、少し探したのですが、あまり書かれたものがありませんでした。富永次郎宅には約一年ほど寄寓していたので、そろそろ転居しようと考えていたのだとおもいます。この後直ぐに鎌倉市内で転居先を見つけます。ハイゼンベルクはドイツの有名な理論物理学者です。
★左上の写真は鎌倉市雪ノ下三十九番地の小林秀雄宅跡です。この家は小林秀雄が昭和23年6月に購入したもので、離れもありかなり大きな住まいでした。