<大岡昇平(新潮日本文学アルバム)>
大岡昇平の「新潮日本文学アルバム」は非常に良くできていて、今回の「大岡昇平を歩く」では、たいへん参考になりました。
「大岡昇平は明治四十二年(一九〇九)三月六日、東京市牛込区(現、東京都新宿区)新小川町三丁目十番地に長男として生れた。父は貞三郎、母はつる。両親とも和歌山県の出身。父が兜町の株式仲買店に勤める関係で上京して住むようになったため、大岡は主に渋谷で幼少年期を過し、両親の故郷の和歌山を直接知ることはなかった。しかし、このことは、将来の作家にとって大きな謎として残り、戦後フィリピンから復員すると和歌山を訪れ、自己を支えてきた和歌山の親族や家の歴史について、検討しょうとした。大岡昇平の作家としての出発はもちろん『俘虜記』や『野火』などの小説であるが、「自己とはなにか」という謎を軸にした「母」「父」「女相続人」など一連の作品が別にある。生未の知的探求心がそれに加味して、過去の自己の同一性の起源を生涯追求しょうとした。この作家にとって自己といい、経験といい、既知であり、固定したものはなにもなかった。自己追求の過程で大岡昇平を驚愕させた最大の事件は、おそらく母が芸妓であったことを少年時に知ったときのことであるが、後年に家を描いた一連の小説の中で、並みの私小説家であったら徹底して隠蔽するか、逆に露悪的ないしは自虐的に表現するところを、乾いた筆致で描いた。このように家族を描いた小説はー大岡文学にとって重要な一つの山系を形作っている。それは両親の故郷の地理と風土の中で織りなす一つの家系の消長と濃密な関係を描き出して いる。…」。
ここで書かれている大岡昇平の生まれた住所は、新小川町三丁目十番地となっています。「幼年」で書かれている新小川町三丁目十三番地とは違っています。何方が正しいのでしょうか?
★左上の写真が大岡昇平版「新潮日本文学アルバム」です。新潮日本文学アルバムは50人以上の作家名で出版されていますが、大岡昇平版はその中でも出来のいい方だとおもいます。