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最終更新日:2006年2月20日

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●江戸の「時の鐘」散歩 2002年2月23日 V01L04


 今週は”岡本綺堂の東京を歩く”の第二弾として江戸府内の「時の鐘」を巡ってみたいと思います。江戸初期の頃は江戸城で太鼓を昼夜十二刻を打って知らせていたようです。登城時間等の公の時間を知るには、すべてこの太鼓によらなければならなかったのです。明六つ(日の出)の太鼓が鳴ると江戸城の見附の門を開け、夕六つ(日の入り)の太鼓が鳴ると見附の門を閉めていたのです。この江戸城内の太鼓だけでは江戸府内全てで聞こえるはずがなく、その代わりに時を知らせる鐘を各地においたわけです。江戸時代で時の話といえば、やっぱりこれですね!『江戸っ子が屋台の蕎麦屋で蕎麦を食べた後、「おいいくらだい、16文か、銭は細けぇけどいいかい、手を出しねえ」「それでは、ひい、ふう、みい、……なな、やー」と数えたところで「今、何刻だ」「九つで」「十、十一、十二……十六」と……、それを近くで見ていた男が、翌日小銭を持って早くから蕎麦屋に行き、蕎麦を食べた後、嬉しそうに金を払い始める。「それでは、ひい、ふう、みい、……なな、やー」と数えたところで「今、何刻だ」「四(よつ)です」「いつ、むう、なな、やー……」と……』という話です。これは有名な「時蕎麦」という落語ですね、蕎麦代と時刻が同じ一桁だったのでうまくいくお話です。また時の鐘を打つには必ず捨て鐘というものを三つ撞きました。ですから四つ目から数えるのです。江戸時代の時の間隔は一定ではなく、日の長さによって時の間隔も変わっていました。「時の鐘の時間を計るには、大抵水時計を用いていましたが、その時間も日の永いときには昼の一時は長く、夜の一時は短かったので、本当の日永・短夜であったのです。これは日出・日没を基として明六つ・夕六つと区切り、昼夜を六分して、明六つ・五つ・四つ・九つ・八つ・七つ・夕六つを昼間とし、夕六つから五つ・四つ・九つ・八つ・七つ・明六つまでを夜としてあったので、一時の時間が冬日の二時間に決まっているにもかかわらず、日の永い時には一時が二時間二十分くらいに延びたり、日の短い時には一時が一時間四十分くらいに縮まったりするような不同の時刻ができたのです。」とあります。日の出ている間を基本としていますので、合理的といえば合理的です。

岡本綺堂の「風俗 江戸物語」では9ヶ所の「時の鐘」を紹介しています。今週は現在、鐘が残っている所を中心に紹介します。

【時の鐘 散歩地図】←ここをクリックして地図を出してください。


tokinokane15w.jpg<日本橋石町>
 冒頭に書いた通り、はじめは江戸城内で太鼓を鳴らして時刻を知らせていたのでしたが、江戸府内にはその音が届かず、幕府は寛永3年(1626)日本橋本石町(ほんこくちょう)3丁目に二百坪の土地を与えて、鐘楼を作らせたのが「時の鐘」のはじまりです。「石和の鐘は、石町の鐘撞新道にありました。柿葺きの鐘撞堂で、鐘撞番が二人いただけですが、場所が日本橋の真ん中にあるだけに、江戸では一番有名でありました。この鐘の聞こえる範囲を四十八ヶ町として、一軒の家から鐘撞料を四文くらいずつ徴収していましたが、石町の鐘も明暦の大火(明暦三−一六五七−年)などに焼けてだんだん鐘の響きなども悪くなっていたそうで、江戸が東京と改称する時分にはもう石町の鐘撞堂も跡形もなくなっていました。」とあります。日本橋石町は現在の日本橋本町4丁目2番地辺りで、鐘撞新道とは銀座通りと江戸通りの交差点から江戸通りと平行に一筋北側に入ったところで、今はなにも残っていません。

左の写真が日本橋石町で時を知らせていた鐘です。現在は中央区日本橋小伝馬町5番の十思公園に保存されています。十思公園は江戸時代は小伝馬町の牢屋敷が有ったところで(明治8年まで)、牢屋敷の記念碑も建っており、地下鉄の小伝馬町駅から直ぐの所です。


tokinokane11w.jpg<本所横川>
  本所横川の「時の鐘」の有った場所は、三つ目通りから大横川側に少し入った所です。現在は跡形もありませんが、大横川の橋の上に鐘撞堂の記念碑がたっています。記念碑には『北辻端西側の大横川川岸に「本所時の鐘」の鐘撞堂があったことから、これらの橋は俗称として「撞木橋」(しゅもくばし)と呼ばれていました。』とあります。

右の写真は大横川の撞木橋の上の記念碑です。鐘撞堂は写真の左側の二筋、隅田川寄りです。現在の墨田区緑4丁目10番辺りで、池波正太郎の鬼平犯科帳で主人公の長谷川平蔵の実家のすぐそばで、当時の地図でみると丁度斜め迎いに「時鐘」と書いてあります。

tokinokane13w.jpg<浅草・浅草寺>
 浅草寺の「時の鐘」は有名ですね。「浅草の鐘は弁天山(銭亀弁天 − いまの台東区浅草二丁目浅草寺の雷門脇)にありましたが、寛永十三 (一六三六)年に焼失したのを、三代将軍家光が手ずから二百両を下賜されて再建したと言い伝えられています。それがまた、回禄の災いに遭って元緑五(一六九二)年に再び金を入れることになりましたが、その時には牧野備後守成貞が同じく二百両寄付したということであります。」とあります。昭和20年の空襲で鐘楼は全焼しましたが鐘は奇跡的にも助かり、昭和25年に再建されました。現在は毎朝6時と除夜の鐘のみ撞かれています。というわけで浅草寺の鐘は昔のままですから、鐘のなかには小判200枚が溶け込んでいます。暇な人かいれば溶かして金だけ取り出せばかなり儲かるかも!!。

左の写真が浅草寺の「時の鐘」です。仲見世通りを通り抜け右に曲がった小し高い弁天山の上にあります。

tokinokane14w.jpg<上野>
 上野の鐘は上野公園の中にあります。「上野の鐘の響き内には、前田・藤堂・佐竹・酒井・榊原・立花などの大大名を初め三十軒ばかりの大小名の屋敷がありました。従って鐘撞料も多分に取れたそうです。普通は間口一間につき三文ということが規定になっていましたが、大名は石高によってそれぞれ徴収されていました。加賀の前田などは一年五両くらいであったそうですから、十万石くらいの大名ならば年二分くらいであうたろうと思います。」とあり、結構運営費を取られていたのが分かりますね、取られている徴収額が高いのか安いのかよく分かりません。台東区教育委員会の説明版には「初代の鐘は寛文六年(1666)に鋳造。その後、天明七年(1787)谷中感応寺(現 天王寺)で鋳造されたものが、現存の鐘である。現在も鐘楼を守る人によって、朝夕六時と正午、日に三回昔ながらの音色を響かせている。」とあります。
 
右の写真の左側の鐘楼が上野の「時の鐘」です。現在は上野精養軒入り口手前の左側の木立ちの上にあります。少し分かりにくい所にあります。

tokinokane21w.jpg<赤坂田町の成満寺>
 岡本綺堂の「風俗 江戸物語」では赤坂田町の成満寺と書いていますが、他の本をみると圓通寺ともあり、どうも複雑そうです。成満寺は調べてみると 田町二丁目四番地にあったようで、現在の田町通りとみすじ通りにはさまれた”月世界ビル”(赤坂3丁目10番地)の辺りとおもわれます。現在の成満寺は多摩市連光寺4-20-2に移転しています。移転先を訪ねてみたところ、鐘楼はありませんでしたが、江戸時代に赤坂田町の成満寺で使われていた「鐘」がそのまま保存されていました。最初「時の鐘」は圓通寺で行われていたようですが、その後成満寺で行うようになったようです。その成満寺も今は多摩市に移っているわけです。

左の写真が現在の圓通寺です。圓通寺はTBSの北側にある円通寺坂上にあり、平成6年に鐘楼を建てています。

tokinokane20w.jpg<天竜寺>
 内藤新宿に時の告げていたのが「天竜寺の鐘」です。新宿区教育委員会の説明板では。『天竜寺の鐘は、元禄十三年(1700)牧野備後守成貞により寄進されたもので、内藤新宿に時刻を告げた「時の鐘」である。現在の鐘は、銘文により元禄十三年の初鋳、寛保二年(1742)の改鋳につづく三代目のもので明和四年(1767)の鋳造である。天竜寺の時の鐘は、内藤新宿で夜通し遊興する人々を追出す合図であり「追出しの鐘」として親しまれ、また江戸の時の鐘のうち、ここだけが府外であり、武士も登城する際時間がかかったことなどから三十分早く時刻を告げたという。なお、上野寛永寺・市ヶ谷八幡とともに江戸の三名鐘と呼ばれた。』とあります。江戸時代にも遊ぶ時間の制限があったようです。
 
右の写真が天竜寺の「時の鐘」です。新宿四丁目の交差点の直ぐ横にあります。周りはビジネスビルに囲まれており、ビルの谷間の「時の鐘」です。

岡本綺堂の「風俗 江戸物語」では上記の他に芝の切通し市谷八幡目黒不動に「時の鐘」がおかれていました。また他の本では目白下新長谷寺(旧目白不動)、下大崎村寿昌寺などにも「時の鐘」がおかれていたと書かれています。

【時の鐘 散歩地図】←ここをクリックして地図を出してください。

【時の鐘の現在の場所】
・石和の鐘:中央区日本橋小伝馬町5番、十思公園に保存
・上野の鐘:台東区上野公園4番、精養軒脇
・浅草の鐘:弁天山(銭亀弁天)いまの台東区浅草2丁目浅草寺の雷門脇
・芝の切通し:港区芝公園3丁目1番と同虎ノ門3丁目22番青竜寺の間の道筋
・市谷八幡:新宿区市谷八幡町
・目黒不動:目黒区下目黒2丁目20番
・本所の横川:墨田区緑4丁目10番
・四谷の天竜寺:新宿区新宿4丁目3番)
・赤坂田町の成満寺:港区赤坂3丁目10番

【参考文献】
・風俗江戸東京物語:岡本綺堂、河出書房新社
・「半七捕物帳」江戸めぐり:今井金吾、ちくま文庫
・東京文学地名辞典:槌田満文、東京堂出版
・新潮文庫 明治の文豪(CD−ROM版):新潮社
 
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