<「江戸近郊道しるべ」 講談社学術文庫>
村尾正靖(号は嘉陵)の「江戸近郊道しるべ」から”大師河原に遊ぶ記”と同じ道を歩いてみました。今回の”大師河原に遊ぶ記”は往復とも一部海路を使っていますが、船は持っておりませんので(笑い)陸路のみにします。
「江戸近郊道しるべ 講談社学術文庫」から”大師河原に遊ぶ記”です。
「 大師河原に遊ぶ記
文政元年(一八一八)戊 寅陰暦五月二十六日、夜明け頃、深川紺場(江東区)から、海士が釣りをする小舟を漕ぎ出す。
蘆の葉をなみにまかせて明わたる大川淀を舟出せるかも
昨夜吹いた南風のなごりであろうか、波が少しうねっていたが、辰の刻(午前八時)過ぎにはおさまった。しかし、少し曇っているので、沖の山は見えない。高縄手(港区高輪)、八山(港区高輪四丁目)辺りの木立が、絵に描いたように見渡せる。それより先は雲の下になっていて、富士も秩父も見えない。東北の方だけが少し晴れていて、筑波山が見える。筑波の方から風が吹くと、四季を通して漁獲は少ない、と舟人は言う。
よその海でも同じことがいえるのであろうか。だいたい我が国の四周は、東海は北流し、北海は西流し、西海は南流し、南海は東流す、といわれている。したがって、東北の風は東南の海で潮に逆らうように生じるので、それほど強くは吹かないというものの、天地の気に逆らって穏やかでないので、魚は淵に潜んでいて浮いてこないために、海の幸に恵まれないのであろう。
高輪沖には碇を下ろした、いろいろな国の船が多数いる。陸から見ると、船端と船端とを接しているかのように見えるのであるが、近くから見ると、船と船との間は三〜五丁、あるいは六、七丁離れている。船の後先を違えて停めており、同じ方向に向いて列をなしているのでもない。遠くから眺めているのとは、えらい違いようである。ここにある船数は、いつも二百艘ほどである、と舟を操っている男が言う。…」。
”深川紺場(江東区)”と書いていますが、この場所は良く分かりませんでした。釣に行く船の乗場ではないかとおもっています。何方かご存知の方がいらっしゃいましたらご教授ねがいます。又、新暦で4月末頃の日の出は5時頃ですからかなり早い出立です。
★写真は講談社学術文庫の「江戸近郊道しるべ」です。現代用語でか書かれたいますので、分かりやすく、散歩の参考になります。