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最終更新日:2006年2月20日

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●向田邦子の恋人を歩く 初版2004年7月31日 <V01L02>
 今週は「向田邦子の恋人を歩く」を掲載します。今年のTBSお正月番組で「向田邦子の恋人」が放映され、7月にそのDVD版も発売されました。いままでほとんどわからなかった向田邦子の恋人がほんの少し分かりましたので掲載します。

<回転寿司>
 何故、回転寿司?と思われたでしょう。これは「向田邦子の恋人」のDVDを買った人だけが分かります。特典映像で「筑紫哲也さんと山口智子さんの対談」が添付されており、この対談が行われたのがこの回転寿司なのです。この対談の中で山口智子さんは「…小学校時代の土日の憧れのイベントは回転寿司に行くことだった。…」と言っています。ただ、二人とも回転寿司に慣れていなくて、お茶の入れ方に戸惑っていました(自分でお茶葉を入れてお湯を注ぐやり方が分からなかった。普通の寿司店にしか行っていない様です。当然ですね!!)。山口智子さんは昭和39年(1964)10月生まれですので現在39歳、10月には40の大台です。ですから小学校時代だと昭和40年代後半ですね。また筑紫哲也さんは「…日本のホームドラマは必ず食べる場面が出てくる…」と言っています。思い出してみると向田邦子のホームドラマ「寺内貫太郎一家」でも、いつも食卓の風景でした。

左上の写真は筑紫哲也さんと山口智子さんの対談が行われた回転寿司屋さんです。正式名称は「回転寿司UOKI」で住所は東京都港区赤坂1-12-32アーク森ビル3Fで、3Fのレストラン街の中にあります。町中の回転寿司よりは少し高いですがなかなかネタのよいお寿司屋さんでした。当然私も山口智子さんが座った場所でお寿司を食べました。穴子の寿司と、メニューの写真を掲載しておきます。

<恋人>
 向田邦子自身の恋人については、本人は全くといっていいほど書いていません。周りの友人もほとんど知らなかったようでした。ただ、山口瞳の「木槿の花」の中に書かれていました。「…これは、いつのときだったか忘れた。話の内容からして、彼女と二人きりでいたときのことである。「あなたは文壇の原節子ですね」 と、私が言った。「………?」 「永遠の処女……」 いくらか、ヒッカケてやろうとする気味があったのかもしれない。誘導訊問である。そのとき、向田邦子は、思いつめたような顔になった。そうして、思いきって言ってしまおうというようにして、「あら、私、(男が) いるのよ」 と、現在形で言った。それから、急に早口になって、「『父の詫び状』 のなかに出てくるでしょう。あの男よ」 彼女は 『父の詫び状』 のなかの、ある章の名を言った。その夜、帰宅してから、その章を読みかえしてみた。なるほど、彼女は、実に巧妙に告白しているのである。…」。私も『父の詫び状』を読み返してみました。しかし、山口瞳の「木槿の花」には章が書かれていないので何処に書かれているのか分かりません。推定です。「…渋谷駅のそばに「とん平」という飲み屋がある。お世辞にも綺麗とはいいかねる店だが、独特の雰囲気があり、物書きや映画人のたまり場になっていた。私も大先輩の映画評論家に連れられて、ザコのととまじりで、飲みに通っていた。……私は一足お先に失礼することにした。連れに車代を借り、私はタクシーに乗った。…」。ここに書かれいる話は”御不浄にバックを落とした”話なのですが、ここに書かれている”大先輩”、”連れ”が恋人ではないかとおもっています。あくまでも推定です。何方か、教えていただければありがたいです。

左上の写真は山口瞳さんの「木槿の花」です。山口瞳さんは向田邦子さんの大ファンで、この本の中で「木槿の花」として1〜6巻までを書いています。

【向田邦子】
昭和4年(1929)東京生れ。実践女子専門学校国語科卒業。映画雑誌編集記者を経て放送作家となりラジオ・テレビで活躍。代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「隣の女」等がある。55年には初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家活動に入ったが、56年8月航空機事故で急逝。(文春文庫より)


向田邦子恋人年表(昭和37年〜39年)

和 暦

西暦

年  表

年齢

向田邦子の恋人

昭和37年
1962
三河島事故
キューバ危機
33
2月 東京都杉並区本天沼三丁目三十五番地に転居
昭和38年
1963
鉄腕アトムテレビ放映
34
11月 N氏の手紙から日記が始まる
昭和39年
1964
東京オリンピック
35
2月 N氏自殺
10月 東京都港区霞町に転居

<高円寺駅>
 向田邦子の恋人とされるN氏が住んでいたのが高円寺駅からすこしのところでした。「N氏の日記 昭和三十八年十一月二十九日 目がさめたのは6:30ごろだが、寒さと足の重さで布団の中にうずくまったまゝ。三人集れば勲章の話というのに始まって汗の話になる。頭がぼんやりしていて、汗の成分のあったことを覚えているだけ。うがいする水が歯にしみると九がボャく話、平凡。陽が出たが部屋の外の干しものでかげになるせいでうすら寒い。昼食‥トマト、キクリ、卵、スープ、パン。1:00高円寺へ。東光デパートで天ぶらを買う。3:30伊勢丹より電気毛布届く。邦子の好意うれしく早速無細工ながらカバー をかぶせる。午后は曇ったせいか うすら寒くなる。夕食は天ぷらを煮てみる。醤油、ミリン、砂糖、味の素でまあまあの出来(ゑび、あじ、いか、いも、はす、野菜2種)。9・00ごろから毛布の中へ入る。いゝ調子にはなるが 不精になりそうだ。新聞¥49、天ぷら¥130」。まずN氏の名前なのですが、TBSのドラマでは「中原歩」となっています。イニシャルがNなので合っている様なのですが、確証がありません。仕方がないので今回は「中原歩」として探してみることにしました。

左上の写真が現在のJR高円寺駅です。イニシャルN氏、中原歩が住んでいたとおもわれる中野区大和町へは高円寺純情商店街を抜けていきます。昭和38年当時は駅前が区画整理されておらずごみごみしていたとおもいます。

傘を借りた建具屋(テレビドラマ)>
 実際の日記には書かれていませんがTBSのドラマでは雨の中で森繁久彌扮する建具屋から番傘を借りるシーンがあります。道筋に本当に建具屋があるのかとおもっていたら、ありました。古ぼけた家ですが間違いなく建具屋でした。(撮影は緑山スタジオでのセット撮影ですので上記の建具屋とは全く関係ありません)

右の写真の左側手前から二件目が建具屋です。特に本には書かれていませんのでお話としては面白いとおもいます。

中原家(推定)>
 高円寺駅から高円寺純情商店街を抜けて早稲田通り(旧昭和通り?)に出ます。そこから大和町中央通り(旧大和消防署通り)沿いに少し歩きます。中野区大和町界隈は空襲を受けていないため昔ながらの家を多く見かけます。特にこの大和町中央通りは古い商家が多いですね。N氏の名前が”中原”で正しいとすると自宅は中野区大和町四丁目の大和町中央通りから一筋入ったところになります。しかし日記をよく読んでみると、「N氏から向田邦子宛手紙[都市センターホテル気付]昭和三十八年十二月十七日消印 速達 ?いやだなァ ブウブウ……″ とふくれていることゝ思います。こちらも本格的な冬体制になったせいか 身体の方 面白からずというところ。昨16日夜シチュー第一回、こんどのは一寸味が薄いようです。でも有難く味わっております故気をよくして下さい。家の前の道路工事も横断橋の方の登り道をやりはじめて 終日うるさいことです。」。とあり、”家の前の道路工事も横断橋の方の登り道をやりはじめて”が気になります。当時は東京オリンピックの前年で環状七号線の工事の真最中でした。”横断橋”が環状七号線の大和陸橋ということになると仮説が変わってしまいます。こちらはもう少し調べてみたいとおもいます。何方かご存じの方がいらっしゃいましたらご教授ねがいます。

左上の写真の少し歩いたところの左側が中原家の場所です(推定)。現在の地番で中野区大和町四丁目となります。「昨日から道路工事は真前の歩道になったのでうるさいこと、朝からガンガン頭にこたえる。午后はすつかり雪。」。と書いているところもありますので、環状七号線に近い早稲田通り沿いか、環状七号線沿いではないかともおもいます。しかし環状七号線大和陸橋付近から自宅のあった本天沼三丁目までは相当の距離になります。ちょっと歩けないです。またTBSドラマの始まりに向田邦子と中原歩がお互いに書いていた封書が映されます。この住所を見ると中野区大和町六丁目十番となっていましたが、この住所は実在しませんでした(大和町に六丁目はない)。

柏水堂>
 「…邦子へ電話し柏水堂へよってホテルへ行く。少し話して帰る。帰りは電車だったが やつばり少しこんで来た。…… きのうは陣中見舞有難うございました。つまらなくて、ぼつぼつオヒスがおこりかけていたところだったので、とてもうれしかった。ケーキはあのあと一ケたべ、残り三つを大切にしまっておいたところ、妹がやってきて、「アラ、おいしそうね、お父さんとお母さんとあたしとちょうどよ」と吐かして、さっさと大きなバッグにしまわれてとんだところで親孝行となりました。…」。陣中見舞いのケーキをもって千代田区平河町二丁目の都市センターホテルを訪ねています。この柏水堂は神田神保町の交差点にあり、昭和4年からのケーキ屋さんで、小津安二郎監督も好きなケーキ屋だったようです。

右の写真が神田神保町交差点の柏水堂です。ケーキの写真はトリオシュー(小さいシューが3つで中のクリームがプレーンとショコラ、カフェ)の写真を掲載しておきます。向田邦子の頃はまだ無かったとおもいます。


<向田邦子の東京地図 -5->


<向田邦子の東京地図 -6->



【参考文献】
・父の詫状:向田邦子、文春文庫
・向田邦子の恋人:向田和子、新潮社
・無名仮名人名簿:向田邦子、文春文庫
・夜中の薔薇:向田邦子、文春文庫
・霊長類ヒト科動物図鑑:向田邦子、文春文庫
・向田邦子の手紙:クロワッサン別冊
・向田邦子ふたたび:文藝春秋
・向田邦子を旅する:クロワッサン別冊
・向田邦子をの原点:向田和子、文藝春秋
・向田邦子暮しの愉しみ:向田邦子、向田和子、新潮社
・向田邦子鑑賞事典:井上謙、神谷忠孝
・思い出トランプ:向田邦子、新潮社
・寺内貫太郎一家:向田邦子、サンケイノベルス
・姉貴の尻尾:向田保雄、文化出版局
・東京人 168,169号「向田邦子の昭和を探して 前後篇 高島俊男」:都市出版
・向田邦子 鹿児島文学散歩:NPO法人かごしま文化研究所、NPO法人かごしま探検の会

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