●向田邦子の宇都宮を歩く 2004年2月21日 V01L02 「向田邦子を旅する」のなかで、今週は未掲載分から宇都宮と高松を歩いてみました。まず宇都宮ですが、昭和4年東京世田谷で生れた後、直ぐに宇都宮に転居します。父親の保険会社の転勤に伴っての転居でした。その後、一時東京に戻り、すぐ鹿児島から高松へ転勤していきます。
<向田邦子処女説> 向田邦子が大好きな山口瞳さんに登場してもらいます。やっと出番がきたという感じです。「向田邦子のように、会うたびにどんどん綺麗になる女性というのも、めったにいるものではない。これは私だけが感じたことではない。多くの人から同様の感想を聞いた。その意味でも、彼女は「奇跡の人」である。…」、これは、山口瞳さんの「男性自身 木槿の花」からです。いかに好きかわかりますね。そこでタイトルの”向田邦子処女説”に戻ると「…これは、いつのときだったか忘れた。話の内容からして、彼女と二人きりでいたときのことである。「あなたは文壇の原節子ですね」と、私が言った。「………?」、「永遠の処女……」 いくらか、ヒッカケてやろうとする気味があったのかもしれない。誘導訊問である。そのとき、向田邦子は、思いつめたような顔になった。そうして、思いきって言ってしまおうというようにして、「あら、私、(男が)いるのよ」と、現在形で言った。それから、急に早口になって、「『父の詫び状』のなかに出てくるでしょう。あの男よ」 彼女は『父の詫び状』のなかの、ある章の名を言った。その夜、帰宅してから、その章を読みかえしてみた。なるほど、彼女は、実に巧妙に告白しているのである。…」、私もあわてて『父の詫び状』を読み返してみました。いまでは向田和子さんの「向田邦子の恋文」が出版され、今年の1月にはテレビでも放映されましたので、彼氏の事は有名になってしまいましたが!!
【向田邦子】 昭和4年(1929)東京生れ。実践女子専門学校国語科卒業。映画雑誌編集記者を経て放送作家となりラジオ・テレビで活躍。代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「隣の女」等がある。55年には初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家活動に入ったが、56年8月航空機事故で急逝。(文春文庫より)
【山口瞳】 1926(大正15)年、東京生れ。鎌倉アカデミアに入学。出版社勤務を経て、’58(昭和33)年寿屋(現サントリー)宣伝部に入り、「洋酒天国」の編集者・コピーライターとして活躍する。’62年『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞受賞。’79年には『血族』で菊池寛賞を受賞する。’63年「週刊新潮」で始まった「男性自身」は、31年間1614回に及ぶ。シリーズ最終巻は『江分利満氏の優雅なサヨナラ』。’95(平成7)年8月永眠。(新潮文庫より)
★左の写真が山口瞳さんの「男性自身 木槿の花」です。新潮文庫なのですが、絶版になっているようです。現在は新潮文庫の『山口瞳「男性自身」傑作集』に「男性自身 木槿の花」の一部が掲載されていますが、全部読みたい方は古本屋を探してみてください。
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