<「水木しげる伝」講談社漫画文庫>
水木しげるさんの本は漫画、エッセイ、自伝も含めて数多く出版されています。今回は特に自伝を中心に4冊の本を読んでみました。一番頼りになるのが講談社漫画文庫の「水木しげる伝」上、中、下の三巻です。特に下巻には”水木しげる詳細年譜
2004年12月、関東水木会・平林重雄編が掲載されています。
水木しげるさんの「水木しげる伝」、から”水木しげる詳細年譜(水木しげる伝 下 掲載)
2004年12月、関東水木会・平林重雄編です。
「昭和12年15歳(1937年)
就職するも
3月境尋常小学校高等科卒業後、父は神戸に勤務し、大阪に金持ちの親類もあったので就職の為大阪に出る。大阪の石版印刷の図案職人見習いとして就職するも、のんびりとした性格に合わず2ヵ月でクビとなる。大阪の親類の紹介で中村版画社に入社したがここもすぐにクビになる。しばらく親類宅に居候し、絵本の習作を描くが体調をくずして帰省する。医師の診断では黄症だといわれる。…」
講談社漫画文庫の「水木しげる伝」上、中、下の三巻だけを読んでいると、とても面白いのでいいのですが、何冊か読み進んでいくと細かいところの違いが気になり出します。困ったものです。そこで少し調べてみることにしました。
★上の本は講談社漫画文庫の「水木しげる伝」下巻です。講談社漫画文庫の「水木しげる伝」上、中、下の三巻は元々は2001年発行の「ボクの一生はげげげの楽園だ」を改題したものです。水木しげるさんが79歳の時に描かれたものです。下巻の最後に関東水木会・平林重雄編の水木しげる詳細年譜が掲載されています。
【水木 しげる(みずき しげる、本名:武良 茂(むら しげる)、大正11年(1922)3月8日 - )】
大正11年(1922)生れ。鳥取県境港で育つ。太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征し、爆撃を受け左腕を失う。復員後、紙芝居画家となり、貸本マンガを経て漫画家となる。
昭和40年(1965)、「別冊少年マガジン」に発表した『テレビくん』で第6回講談社児童まんが賞を受賞。代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』、『河童の三平』、『悪魔くん』などがある。平成3年(1991)、紫綬褒章受章。
1996年、日本漫画家協会文部大臣賞を受賞する。 2003年、旭日小綬章を受章。同年3月、故郷である境港市に水木しげる記念館か開館した。(新潮文庫より)