
大湊の善楽町「花家」で犯人と唯一接触のあったとおもわれる杉戸八重が上京後、東京で最後に働いたのが亀戸天神裏の女郎屋「梨屋」でした。「…江東区亀戸にある遊廓は、亀戸遊廓といわれた。総武線の亀戸駅から北へ約五百メートルほどゆくと新しくつくられた広い道路につき当った。そこから、亀戸天神まで歩いて十分とかからない。この天神へゆく途中に、五十軒ほどの遊廓が三筋ばかりの道路に向きあって並んでいた。もともと、この町は深川木場や、錦糸町あたりを中心とする下町商店街の店員や、主人たちの憩う三業地だった。戦災をうけて一帯は焼野と化したが、いつやらほどから、この三業地あとの一角に遊廓が生じ、建物はうすっぺらな安建築ではあったけれど、どの家も、三、四人の妓を置いて、客をよびこんでいた。…」。総武線の亀戸駅から600m程北へ歩くと蔵前橋通りに突き当たります。この蔵前橋通りを西に450m程歩くと亀戸天神です。
★左上の写真は現在の亀戸天神です。映画「飢餓海峡」にもこの亀戸天神が登場します。モノクロですが杉戸八重が歩いている姿が映し出されています。「飢餓海峡 上巻」によると、杉戸八重が上京後最初に働いたのは池袋西口のマーケットでした。「…池袋駅西ロ ─ 詳述しておくと、豊島区池袋二丁目というのがこの界隈の名称だった。西口改札口から、西に向う広大な焼野に迷路のように建てられたバラックや屋台店の町は、通称、池袋ジャングルといわれた。スイトンやカストリを売る店が、数百軒も道路の両側にならんで客をよんでい。富貴屋という一杯呑み屋は、ジャングルの中央部にあった。せまい小路の角である、共同便所のわきである。ハモニカの穴のようにならんだ小さな呑み屋の中では、この店は、かなり店らしい体裁をととのえていたといえたかもしれない。わずかに四坪くらいの広さしかないけれども、角になっていたから東南両方の出入ロがあって、南の半分はカウンターと椅子のならんだ酒場になっていて、一方は、店主の鴨居うたの発案で、甘味屋になっている。…」。池袋西口のマーケットとは戦後の闇市です。昭和34年1月に火事になるまであったようです。