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最終更新日:2006年4月22日


●越後屋(現三越) 初版2000年1月1日 <V01L01>

左は「名所江戸百景」(広重)「する賀てふ」です。当時、日本橋駿河町の通りの両側全域を占めていたのは、呉服店越後屋です。伊勢松坂の商人であった三井高利は、江戸へ出て来て、新商法を次々に生み出して成功し、全国的に有名な店となっていました。
  1. 「万現銀売にかけ値なし」という看板をかかげ、従来の掛け売りを排して、その分商品を安く売った。
  2. 商品毎に専門の販売員をおき顧客の便宜を図った。
  3. 急ぎの物の注文がある時は、顧客を待たしておいて仕上げ、用立てをした。

左下の写真は三越日本橋本店です。2000年1月1日の午後に写真を撮りました。当然三越はお休みです。今年は正月三が日、Y2Kで出社だったため、日本橋まで行って写真を撮ってきました。人通りは全くなく、たまに車が通る程度でした。

その他では京都で下村彦右衛門が創業した呉服太物商の大丸屋は、元文3年(1738)に大伝馬町の東南の角地へ進出しています。そしてすでに進出していた越後屋に倣って、「げんきんかけ値なし」の看板を掲げて、大成功しています。
もう一つは、尾張藩の御用達であった呉服商伊藤屋が明和5年(1768)に買収した松坂屋です。呉服物を扱い、駿河町の越後屋や、大伝馬町の大丸屋などと並んで、江戸で有数の呉服店に数えられていました。

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