<「新若人」 旺文社 昭和19年3月号>
「新若人」 は旺文社が昭和15年から昭和20年まで発行した学生向けの月刊雑誌です。太宰治の「散華(さんげ)」はこの雑誌の昭和19年3月号に掲載されます。ネットで調べると「全日本学徒革新的綜合雑誌」と書いてあるのですが、この雑誌は当時の情報局情報官
鈴木庫三が旺文社の赤尾好夫と一緒に作った青年向け総合雑誌です。この辺りを書き始めるときりが無いのでこのくらいにしておきます。
太宰治の「散華(さんげ)」から、書き出しです。
「 散華
玉砕ぎょくさいという題にするつもりで原稿用紙に、玉砕と書いてみたが、それはあまりに美しい言葉で、私の下手へたな小説の題などには、もったいない気がして来て、玉砕の文字を消し、題を散華さんげと改めた。
ことし、私は二人の友人と別れた。早春に三井君が死んだ。それから五月に三田君が、北方の孤島で玉砕した。三井君も、三田君も、まだ二十六、七歳くらいであった筈はずである。…」。
太宰治の「散華(さんげ)」は昭和19年3月号に掲載されていますから、当時としてはこんな書き方だったのかもしれません。
★写真は旺文社発行の「新若人」、昭和19年3月号です。この雑誌の出版元である旺文社の赤尾好夫さんは、「螢雪時代」や「豆単」を作った人と言った方が分かりやすいとおもいます。