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最終更新日:2006年4月22日


●旧前田侯爵邸(駒場公園)
 
《東京都有形文化財》 2000年1月8日

渋谷から井の頭線で二つ目の「駒場東大前」で下車し、西口より約12分位歩きます。高級住宅街ですのでゆっくりのんびり周りの大きな家を見ながら散歩されたらいいと思います。駒場公園の反対側からずっと廻りますので遠回りしたような気になりますが、東急バスで行く以外は一番近い方法です。正面の入り口のまえがゴルフ練習場なので直ぐに分かります。入り口もたいそう立派です。中に入って少し歩くと洋館が見えて来ます。いまは東京都近代博物館となっていますが「旧加賀藩前田侯爵邸」らしいたたづまいです。 前田家は藩祖利家(としいえ)以来、加賀、能登、越中三国を容した百二十万石の大大名であり、旧幕時代その中心的な地位にあったのが加賀藩の前田本家でした。そして、近代前田家の基礎を築いたのは、最後の藩主慶寧(よしやす)の嫡子(ちゃくし)で十五代当主の利嗣(としつぐ1858〜1900)です。彼は明治四年(1871)の岩倉遣外使節に勅令第一号の留学生として参加し、欧米諸国を見聞しました。しかし、当時政治の中心は薩長出身者に握られていて表立った活躍の場はありませんでしたが、それでも本郷邸(現在赤門がある所)の一部を東京医学校(現東京大学医学部)建設用地に提供するなど、我が国の欧化政策に尽力しました。また、富国強兵政策の一環として北海道に前田村を建設、北海道開拓を推進させるかたわら、日光、鎌倉に別邸を所有するなど前田家発展の基礎を固めました。

この洋館の創建は、旧加賀百万石前田家の第十六代当主前田利為氏の本邸として昭和4年(1929)に欧州建築の粋をあつめて建築され、当時東洋一の邸宅と称せられました。設計は、塚本靖東京帝国大学教授、高橋禎太郎技師が担当し、外国の貴賓を迎え入れうる洋館として、駒場の田園の野趣にあわせたイギリス・チューダー式がとりいれられました。様式はイギリス後期ゴシック様式を簡略化したもので、玄関ポーチの偏平アーチにその特徴をみせています。外観は、当時流行した長手のスクラッチ・タイルを貼り、落ち着いた雰囲気を漂わせています。内部は王朝風に装飾が施されていました。部屋にはイタリア産大理石のマントルピースや角柱、イギリス製家具が配され、壁にはイタリア産シルクが貼られていました。こうしたヨーロッパ調の室内に、唐草や雛菊の紋様をあしらうなど、江戸の風情も添えています。戦後、この建物は、アメリカ極東軍司令官の官邸として接収され、一部改修されました。その後、昭和39年(1964)には東京都の所有となり、昭和42年(1967)に東京都近代文学博物館が設置されました。洋館の中は写真撮影禁止ですがどうゆうわけか右の写真は一枚だけ写っていました。(係の人ごめんなさい)池之端の旧岩崎邸よりもこちらの方が立派ではないかと思います。
平成3年(1991)から、東京都有形文化財(建物)として指定されています。

maeda3-w.jpg【前田侯爵邸の歴史
明治4年:103,822坪あった本郷前田邸の上屋敷を12,670坪に削って残り91,152坪を国に出したのが現在の東京大学の始まりです。
大正15年:東京帝国大学の本郷の敷地が手狭になったので駒場の東京帝国大学農学部の一部4万坪及び地続きの代々木演習林の敷地の一部1万余坪と本郷前田邸を等価交換しました。
昭和4年:イギリス大使館付武官の頃、迎賓館を兼ねてロンドン風の建物を建設しました。(現在の洋館)
昭和5年:和館を江戸時代の武家屋敷風に建設し渡り廊下で繋ぎました。(和館と洋館)
昭和17年:前田侯爵陸軍大将は南方方面軍指揮官(ボルネオ守備軍司令官)としてボルネオにて戦死されました。(9月5日戦場視察の途上、ボルネオ・パトウ岬沖合上空で非業の死を遂げられました。)
昭和19年:丸の内明治生命ビルに入っていた中島飛行機製作所本社が疎開してきました。(中島知久平社長が前田家より一部を譲り受けた)
昭和20年:尊経閣を除いて全部を連合軍に接収されました。当初マッカーサー元帥が使用することになっていましたが調査の結果民家と屋敷があまりにも接近していることが警備上難しいとして使用中止となり、替わってホワイトヘッド第五空軍司令官の官邸となりました。
昭和26年:マッカーサー司令官解任後、リッジウエイ司令官の官邸となって洋館は公的事務所、和館は住居として使用し、渡り廊下を渡って執務していました。
昭和28年:富士産業(旧中島飛行機製作所「社長中島源太郎」)の所有に移つりました。(駒場邸の敷地12,167坪)
昭和31年:昭和31年から32年にかけて中島飛行機の買った土地と和館は所有者の希望により国が買い取りました。
昭和32年、接収が全部解除されました。
昭和39年:洋館及び土地は中島源次郎氏より東京都が買収しました。
昭和40年:国有部分は都が無償で借り受けました。
昭和42年:日本近代文学館開館、都立駒場公園開館

【交通のご案内】
・井の頭線、「駒場東大前駅」 西口より徒歩12分
・小田急線、「東北沢駅」より徒歩13分
・東急パス(渋55)、渋谷駅(ターンテーブル)←→幡が谷折返所 「代々木上原」下車徒歩2分

【見学について】
所在地:駒場公園、東京都目黒区駒場4-3-55
〔管理事務所〕TEL3467-3419 〔和館〕 TEL3460-6725

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