●網坂から泉鏡花旧宅を歩く 2000年11月3日 V01L01
明日から仕事で海外に行くため、あまり時間がとれません。今回は少々手抜きですが御免なさい。
千代田区番町は江戸時代、将軍を護衛する大番組や旗本の屋敷があった所です。 二代将軍秀忠の娘、千姫は祖父家康の命により豊臣秀頼に嫁ぎました。大阪夏の陣において千姫は大阪城から救い出されています。その後千姫は本多忠刻と再婚、忠刻との間に一男一女をもうけますが、長男幸千代をわずか3歳で亡くし千姫30歳の時夫忠刻も他界しています。忠刻亡きあと千姫は姫路城を出て、天寿院と号して江戸で余生を送くっています。江戸で住んだのは吉田御殿ですが、伝説では通りがかりの美男子を招き入れては殺して井戸に投じたといわれています。又その跡地に住んだ旗本青山主膳が、女中のお菊が皿を割ったことを責めて、その井戸に投げこんだのが皿屋敷の元になっており、お菊が帯を引きずりながら逃げ廻ったのが五番町と九投南4丁目の間の「帯坂」(日本棋院前通り)だとされています。(左の写真が帯坂です)。
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