kurenaidan30.gif kurenaidan-11.gif
 ▲トップページ著作権とリンクについてメール

最終更新日:2006年2月19日


●湯島天神と婦系図(泉鏡花) 2000年3月11日
 
yushima3-w.jpg 『切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。』というと、有名な泉鏡花の「婦系図」のお蔦の言葉です。「湯島の白梅」で有名ですね。南北朝時代の文和4年(1355)に創建された湯島天神(湯島神社)は、亀戸天神(JR総武線亀戸駅より徒歩15分)、谷保天満宮(JR南武線谷保駅より徒歩5分)とならび「江戸三大天神」として知られています。文明10年(1478)に太田道灌が再興、天神様・菅道道真を奉り、学問の神様として参拝者の多いところです。又梅の名所としても親しまれており、梅園は戦災にあいましたが復旧され、昭和33年(1958)から梅まつりも復興されました。白梅と紅梅が約400本あります。二人でデイトしたら女坂と男坂に分かれて登ってみて下さい。

<泉鏡花の「婦系図」>

yushima2-w.jpg 「婦系図」は明治40年に「大和新聞」に連載されています。いまの新聞の連載小説ですね。その後、柳川春葉の脚色で新富座で上演されています。この芝居の方がよかったのか、泉鏡花は大正3年にはお蔦、早瀬の別れの場面だけを脚色して「湯島の境内」に仕立てています。(上記の「切れるの分かれる」は「湯島の境内」の中に書かれています)こちらの方が有名になり、この芝居が「婦系図」の原作のようになってしまっています。お蔦のモデルは後の泉鏡花夫人、伊藤すずさんで、神楽坂芸者の桃太郎でした。早瀬は自分自身、先生は、師である尾崎紅葉です。「婦系図」の中では「俺を捨てるか、婦を捨てるか」と先生に迫られます。鏡花は、『滝の白糸』『高野聖』等多くの小説を世に出しています。殆どの小説が映画化しやすい戯曲的な作品が多く、新派等でも上演されています。尾崎紅葉『金色夜叉』徳富蘆花『不如帰』と『婦系図』は、一世を風靡した3大国民的通俗小説です。その名せりふは、テレビ、ラジオ、舞台でもたくさんのギャグなどネタに使われていました。
<映画化>
1934/02/22 婦系図 松竹蒲田 野村芳亭
1942/06/11 婦系図 東宝映画 マキノ正博
1942/07/16 続婦系図 東宝映画 マキノ正博
1955/09/28 婦系図 湯島の白梅 大映東京 衣笠貞之助
1959/10/01 婦系図 湯島に散る花 新東宝 土居通芳
1962/02/21 婦系図 大映京都 三隅研次

yushima1-w.jpg<湯島天神の富くじ>
 江戸の三富といって、湯島天神、谷中の感応寺(のち天王寺)と目黒不動で富くじが発売されていました。いずれも幕府公認の御免富でした。その中でも感応寺が一番古く、元禄13年(1700)に公認されています。「江戸大富集」(文政年間)(1818〜1830)によると、売出しは年12回で、毎月16日が突く日(抽選日)でした。富くじ一枚は二朱で四千枚(五百両)が発売されています。二朱は二両の八分の一で、棟割長屋の一月の家賃に相当し、かなりの額でした。寺社奉行から役人と、神官が並び、頑丈な富くじ箱をかきまわして、上ぶたの穴のあいた所へ、長い柄のついた錐を差しこみ、中の木札を突きます。最初が一番札で、突いた札を高々と見せ、番号を読みあげます。そして百番札で突留となります。賞金は、一等百両、二等五十両、三等は二十五両、ほかに二十両、十両、五両などとあり百等まであったようです。水野忠邦の天保の改革によって天保十三年(1842)に禁止されています。

【参考文献】

・泉鏡花集成:ちくま文庫
・ぶんきょうの歴史物語:文京区教育委員会
・ぶんきょうの歩み:文京区教育委員会

【交通のご案内】
・営団地下鉄千代田線湯島駅下車徒歩3分

【見学について】
・湯島天神:文京区湯島3-30-1 湯島天神ホームページ
 ▲トップページページ先頭 著作権とリンクについてメール