●「天国と地獄」伊勢佐木町から黄金町を歩く(下)
2005年1月15日 <V01L02>
黒沢明監督の「”天国と地獄”を歩く」の最終回です。桃色の煙がでた煙突の場所と伊勢佐木町から黄金町を歩いてみました。映画を見たことのない人は面白くありません。
<天国と地獄のポスター> 黒沢明監督の「天国と地獄」は昭和38年3月1日に封切られています。「…『天国と地獄』は、昭和三十八年三月一日に封切られたが、大ヒットした。試写会に招いた有名人のアンケートを東宝は宣伝に使ったが、「圧倒的な迫真力」「活劇のサスペンス」「偉大な作品」「スゴイ映画デス」「さすが黒澤作品」と並ぶ。少し割引いても大変なエールである。ついにその年度の興行の稼ぎ頭になり、当時の金額で四億六千万円を稼ぎ出した。戦後の興行記録を更新する勢いだった。 誘拐というジャーナリスティックな主題だけにマスコミもこの現象を重視、朝日ジャーナル誌は座談会「黒澤明の人間研究」 (五月五日号)を特集した。冒頭、編集部は、「『天国と地獄』 はたいへんな人気を博して、戦後最大の観客を動員するのじゃないかと見るむきもあります……」 と、切り出している。右の発言からも当時の『天国と地獄』 に対する熱気が伝わってくる。…」。昭和38年の封切映画館の入場料は350円、東京駅の幕の内弁当が150円、かけそばが40円、都電が15円で乗れたころです。現在と比較すると1/7〜1/10位ですかね!!
★左の写真が「天国と地獄」のポスターです。三船敏郎と仲代達矢が大きく映っています。前にも書きましたが映画はモノクロでもポスターはカラーです。なんか変ですね。
【天国と地獄】 原作:エド・マクベイン「キングの身代金」 脚本:小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明 キャスト:権藤金吾‥三船敏郎、戸倉警部‥仲代達矢、権藤の秘書‥三橋達也、荒井刑事‥木村功、他
<黒沢明> 明治43年(1910)3月23日東京都品川区東大井で父勇、母シマの間に8人兄弟の末っ子として生まれる。京華学園中学校を卒業後、画家を志し美大を受験するが失敗、昭和11年P・C・L映画製作所(東宝の前身)に入社します。山本嘉次郎監督の助監督を経て、昭和18年に「姿三四郎」で監督デビュー、高い評価を受けて日本映画界のホープとなります。終戦後の昭和23年「酔いどれ天使」で三船敏郎を抜てきし以後三船敏郎は黄金期の黒澤映画に不可欠な俳優となります。昭和25年制作の「羅生門」はベネチア国際映画祭でグランプリを獲得し一躍世界の黒沢となります。平成10年9月6日、脳卒中により東京都世田谷区成城の自宅で死去、88歳でした。
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