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最終更新日:2017年12月02日


●「天国と地獄」伊勢佐木町から黄金町を歩く(下)
  
2005年1月15日 <V01L02>

 黒沢明監督の「”天国と地獄”を歩く」の最終回です。桃色の煙がでた煙突の場所と伊勢佐木町から黄金町を歩いてみました。映画を見たことのない人は面白くありません。

<天国と地獄のポスター>
 黒沢明監督の「天国と地獄」は昭和38年3月1日に封切られています。「…『天国と地獄』は、昭和三十八年三月一日に封切られたが、大ヒットした。試写会に招いた有名人のアンケートを東宝は宣伝に使ったが、「圧倒的な迫真力」「活劇のサスペンス」「偉大な作品」「スゴイ映画デス」「さすが黒澤作品」と並ぶ。少し割引いても大変なエールである。ついにその年度の興行の稼ぎ頭になり、当時の金額で四億六千万円を稼ぎ出した。戦後の興行記録を更新する勢いだった。 誘拐というジャーナリスティックな主題だけにマスコミもこの現象を重視、朝日ジャーナル誌は座談会「黒澤明の人間研究」 (五月五日号)を特集した。冒頭、編集部は、「『天国と地獄』 はたいへんな人気を博して、戦後最大の観客を動員するのじゃないかと見るむきもあります……」 と、切り出している。右の発言からも当時の『天国と地獄』 に対する熱気が伝わってくる。…」。昭和38年の封切映画館の入場料は350円、東京駅の幕の内弁当が150円、かけそばが40円、都電が15円で乗れたころです。現在と比較すると1/7〜1/10位ですかね!!

左の写真が「天国と地獄」のポスターです。三船敏郎と仲代達矢が大きく映っています。前にも書きましたが映画はモノクロでもポスターはカラーです。なんか変ですね。

【天国と地獄】
原作:エド・マクベイン「キングの身代金」
脚本:小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明
キャスト:権藤金吾‥三船敏郎、戸倉警部‥仲代達矢、権藤の秘書‥三橋達也、荒井刑事‥木村功、他

<黒沢明>
 明治43年(1910)3月23日東京都品川区東大井で父勇、母シマの間に8人兄弟の末っ子として生まれる。京華学園中学校を卒業後、画家を志し美大を受験するが失敗、昭和11年P・C・L映画製作所(東宝の前身)に入社します。山本嘉次郎監督の助監督を経て、昭和18年に「姿三四郎」で監督デビュー、高い評価を受けて日本映画界のホープとなります。終戦後の昭和23年「酔いどれ天使」で三船敏郎を抜てきし以後三船敏郎は黄金期の黒澤映画に不可欠な俳優となります。昭和25年制作の「羅生門」はベネチア国際映画祭でグランプリを獲得し一躍世界の黒沢となります。平成10年9月6日、脳卒中により東京都世田谷区成城の自宅で死去、88歳でした。

天国と地獄 横浜地図


桃色の煙の煙突>
 身代金を酒匂川鉄橋上の”特急こだま”から犯人に投げ渡します。ただ、その身代金のはいったケースには仕掛けがしてありました。燃やすと桃色の煙がでるのです。
「… 純「とても綺麗だよ……煙突から桃色の煙が出てるよ」 ハッと窓外を見る権藤たち、戸倉がサッと窓を開け、田口と一緒にベランダへ飛び出す。街のノッポの煙突から牡丹色の煙! そこにトランペットの勇壮な音楽が、短く力強く響き渡る。 煙だけピンクのパートカラーであり、モノクローム画面に突然、煙だけがピンク、度胆を抜く効果である。今日ではデジタル技術で簡単に合成できるが、当時は至難の業だった。不可能へのチャレンジである。…」
 この手法はモノクロ画面にマスキング合成で着色したものです。

左の写真が桃色の煙がでている煙突を浅間台の権藤邸から見たものです(映画と同じようにモノクロの画面に煙だけカラーにしてみました。エントツと桃色の煙は私が描きました。)。このエントツの場所を探しました。映画を見てみると、手前に岡野中学校が、中央少し左側に横浜平沼高等学校が見えます。この線上にエントツがあります。当時の地図をみて探してみると、横浜平沼高等学校の右の先には横浜製糖の工場がありました。多分この横浜製糖の煙突ではないかと推測しています。(横浜製糖工場は現在は横浜歯科専門学校になっています。この横浜歯科専門学校の写真は平沼一之橋から撮影しました。)

伊勢佐木町>
 誘拐犯人は共犯者を殺害するため、麻薬を手に入れようとします。そのため、夜まで山下公園で時間を潰し、伊勢佐木町通りを歩いていきます。「…この伊勢佐木町は、東宝のオープンに作りつけの銀座のセットがあり、そこに歩道の上にアーケードをつけて伊勢佐木町風に化粧直しした。セット・ハンティングして新たに靴屋、ビアホール、レコード店、花屋などを加えたのである。 行き交う車と雑踏、エキストラはみな夏姿。半袖あり、浴衣ありで一月末の夜のロケは零度近くになる。犯人の山崎努は、その寒さの中で汗ばんだ顔を作るため冷たい水をスプレーでかけられ、口には氷を含まされた。吐く息が白くならないためである。(山崎談・著者インタビュー)…」。本物の伊勢佐木町通りを歩いているのかとおもって映画を一生懸命見て場所を探していました。

右の写真は長者町七丁目の伊勢佐木町通りです。今は車は通れません。

根岸屋跡>
 犯人は関内から伊勢佐木町通りを歩きヤクを手に入れるために伊勢佐木町の大きな酒場に入ります。「…強烈なジャズのリズムが流れる大衆酒場。あらゆる人種と職業をもった人間が蕪めいている。低い天井を万国旗が覆い、鏡の壁面にびっしりと書かれた各国語のメニュー、そこに日本的な鳥居や酒樽が混在、その文化のカオス。ミラーボールが放つ光の洪水、ある者は飲み、ある者は食べ、ある者は無心に踊りに興ずる。根岸家という店をモデルに、村木与四郎が作った。実物の約四倍の広さ、飾り付けも柱にミラーを張り、かなり派手にドギツクした。この飾り付けには黒澤も一役買い、楽しんでいたという。アメリカの進駐軍がエキストラとして参加、国際都市横浜の縮図らしい雑然さと熱気が漂う。食べ放題、飲み放題、歌も踊りも自由奔放、その生の迫力が画面に生彩を加えた。…」。このモデルになった根岸屋という酒場は若葉町二丁目に実在した酒場です。横浜市立図書館で調べてみましたら、松信泰輔氏の講演録で「占領下の10年・伊勢佐木町界隈」というのがあるのですが、その中に根岸屋が出てきます。「…それから長者町の電車道を越えますと、伊勢佐木町四丁目あたりに根岸屋という飲み屋がありまして、服部先生は随分いらしたでしょう(笑)。ここはなにか最初はGI専用の大衆酒場で、それから日本人に解放される。これがものすごく繁盛する。根岸屋というのは繁栄を極めるのです。私は真面目ですから、行ったことはないのですが。…」。戦後、伊勢佐木町には米軍の飛行場まであったようです。根岸屋自体は昭和50年頃まではあったようです。一度飲んでみたかったです。

左の写真の正面左側の焦げ茶色のビルの右側にあったようです。現在は更地になっていました。此方の通りから向こう側の通りまで店があったようで、非常に大きなお店のようです。反対側からの写真も掲載しておきます。反対側も更地で駐車場になっていました。

黄金町>
 黄金町は悪の巣窟みたいに描かれていますが、現在はおとなしい町になったようです。「…たちまちズラかる犯人、アロハ組の知らせを受け、慌てて後を追う船員組。走る自動車の中、刑事の無電の声「犯人は勝越に向いません」、「なにけ‥」と戸倉、無電の声「黄金町の麻薬街の角で車を降りました」。…」。犯人は共犯者を殺害するため、麻薬を手に入れようとします。「…黒澤は横浜という国際都市の裏の顔、魔窟の麻薬街黄金町へとカメラを侵入させる。ここはまさに”生き地獄”であり、風俗こそ時代の有弁な証言者であると考える黒澤は、その地獄絵を活写しょうとした。…」。当時の黄金町は大変な町だったようです。それも昭和40年代までで、それ以降はだんだんおとなしい町になったようです。

右の写真は京浜急行黄金町駅です。黄金町自体は京浜急行本線高架と大岡川に挟まれた狭い範囲にある町です。ほとんど呑み屋街で、現在は京浜急行本線の高架下が使えなくなっており、少し寂しい町となっています。ただ夜だと一人では歩けないかも!

今回で黒沢明監督作品「天国と地獄を歩く」は終了です。後は、映画かDVDを見てください。迫力ある映像が見れますよ!!!


【参考文献】
・キングの身代金:エド・マルベイン、ハヤカワ・ミステリ文庫
・DVD 天国と地獄:黒沢明監督作品、東宝
・黒沢明 夢のあしあと:黒沢明研究会編、共同通信社
・黒沢明の映画:ドナルド・リチー、教養文庫
・黒沢明と「天国と地獄」:都築政昭、朝日ソノラマ
・黒澤明コレクション:キネマ旬報社

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