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最終更新日:2006年2月19日


●「天国と地獄」の横浜を歩く(上) 2005年1月1日 <V01L01> 

 2005年の最初は黒沢明監督の「”天国と地獄”の横浜を歩く」を掲載します。あまりに有名な映画なので特に説明する必要はないとおもいますが、映画に沿って横浜から小田原 酒匂川鉄橋、江ノ島 腰越を歩いてみます。映画を見たことのない人は面白くありません。

<キングの身代金(KING’S RANSON)>
 黒沢明監督の「天国と地獄」はエド・マクベインの「キングの身代金」がオリジナルです。エド・マクベインは87分署シリーズ(An 87th PrecinctNovel)で有名ですがその中の一つが「キングの身代金」です。ただ、黒沢明監督の「天国と地獄」では、ほとんど書き直されており、元の物語で残っているのは靴屋の重役と誘拐事件(運転手の子供が間違えて誘拐されるのは同じ)位です。「ハーブ河に面した長い弓なりの張り出し窓は、河面を二つの州にまたがって往来する引き舟や渡船の、夕暮れ前の往き来を見下していた。窓から見たそとの景色は、十月から十一月にかけての、昔ながらのさわやかに澄んだ秋景色。オレソジと黄金の色に染まった木々の葉が、あくまでも青くあくまでも冷たい青空に、くっきりと燃え上っている。部屋のなかは、葉巻や巻煙草の煙で曇っていて、…」、は「キングの身代金」の書き出しです。ハーブ河に面した建物が横浜の高台の家に変わっています。どうも「キングの身代金」とはイメージが合いません。題名の「天国と地獄」も海外では”High and Low”なので、原本とはどうなっているのかとおもいます。

左上の写真がエド・マクベインの「キングの身代金」です。ハヤカワ・ミステリ文庫の表紙です。87分署シリーズなので、知っている人には有名な本です。

右の写真は「天国と地獄」で最初に登場する横浜市西区浅間台からの横浜市内の風景です。ナショナルシューズの重役である三船敏郎 扮する権藤金吾に息子を誘拐したという電話が掛かってきます。その権藤金吾の自宅が横浜市内を見下ろすことができる高台にあるわけです。都築政昭の「黒澤明と天国と地獄」では、「…憎悪を生き甲斐に思うような異常な犯人像に黒澤はした。そのため、町を見下ろす高級住宅街があり、その眼下に貧しげな住宅地、あるいはスラムがあるような港町を探そうとした。…」、と書いています。横浜市内を見渡せる横浜市西区浅間台に権藤邸のセットを作ったわけですが、このセットは高台から見下ろすためだけのセットでした。見上げて見える権藤邸のセットは全く別の所に建てられました(後述)。昭和38年(1963)当時は、写真の様な高層ビルは無く、目立つのは港と学校とエントツ位でした。浅間台のセットが建てられた所には現在はマンションが建てられています。いまでも写真の通り絶景です。

<黒沢明>
 明治43年(1910)3月23日東京都品川区東大井で父勇、母シマの間に8人兄弟の末っ子として生まれる。京華学園中学校を卒業後、画家を志し美大を受験するが失敗、昭和11年P・C・L映画製作所(東宝の前身)に入社します。山本嘉次郎監督の助監督を経て、昭和18年に「姿三四郎」で監督デビュー、高い評価を受けて日本映画界のホープとなります。終戦後の昭和23年「酔いどれ天使」で三船敏郎を抜てきし以後三船敏郎は黄金期の黒澤映画に不可欠な俳優となります。昭和25年制作の「羅生門」はベネチア国際映画祭でグランプリを獲得し一躍世界の黒沢となります。平成10年9月6日、脳卒中により東京都世田谷区成城の自宅で死去、88歳でした。


天国と地獄 横浜地図



権藤邸のセット2>
 先程、”高台から見下ろす権藤邸セット1”を説明しましたが、こちらでは”見上げる権藤邸セット2”を説明します。権藤邸は全部で3つのセットが作られます。まず最初は見下ろす風景を作るための浅間台の権藤邸セット1です。2番目が見上げる風景を作るこの横浜市南区南太田一丁目の権藤邸セット2になります。3番目は邸内の撮影用の東宝スタジオに作られた権藤邸セット3になります。見上げる権藤邸セット2は京浜急行南太田駅北側の常照寺の裏山の頂上に作られます。現在山頂は鐘撞堂と仏塔が建てられていました(頂上まで登れます)。ただ、大岡川縁から見上げる風景が撮影されているのですが、当時は高くても二階建てまでだったのが、川べりには高層マンションが立ち、山頂が見えなくなっていました。残念でした。

左の写真の正面山頂に見上げる風景を作る権藤邸セット2が作られていました。正面の白く細長いのは京浜急行南太田駅です。この写真はスーパーフジの三階駐車場から撮影しました。

電話ボックス>
 誘拐犯人は権藤邸が見える場所から電話をしています。そこで刑事は権藤邸が見渡せる場所にある公衆電話ボックスを探します(当時は電話が普及しておらず公衆電話しか電話できなかったのです)。全部で3箇所の公衆電話ボックスを調べます。その中の一つがこの京浜急行南太田駅手前のガード下の公衆電話ボックスでした。公衆電話ボックスではあと一カ所が映っていました。場所は鎌倉街道の吉野橋の橋のたもとでした。こちらも山頂の権藤邸が映っていましたが、現在は川の上に高速道路が建設されており、全く見えなくなっています。残念でした。

右の写真の右側に山頂が見えますが、映画ではこの場所に権藤邸が映っていました。当然電話ボックスは撮影のためだけに置かれたものですが、道路の反対側にどういうわけか公衆電話ボックスがありました(映画に影響されて置いた?)。

犯人とのすれ違い>
 刑事たちは権藤邸が見える公衆電話ボックスを探して歩きますが、その場面が大岡川縁を歩く場面です。映画では対岸に「横浜容器株式会社」の看板が出ていました。その会社の場所を探したら写真の高層マンションの所でした。このマンションの向こうに山頂の権藤邸が見えたのですが、現在は高いマンションのため見えません。この大岡川の手前を刑事二人が歩き、向こう岸を犯人が歩く場面になります。刑事二人は川の手前を左から右に歩きますが、犯人は対岸を右から左側に歩き、その先の電気屋の手前の露地を右に曲がり自宅のアパートにもどります。この川沿いの貧しい犯人のアパートから見上げると丘の上に権藤邸が見えるわけです。”町を見下ろす高級住宅街”と”その眼下の貧しげな住宅地”の対比になります。

左の写真の正面のマンションの所に横浜容器株式会社がありました。当時は平屋建てで、山頂の権藤邸がよく見えました。大岡川の堤防は当時そのままでしたが、上部に少し嵩上げされていました。


権藤邸からの下り坂>
 仲代達矢 扮する刑事たちが高台の権藤邸から坂道を車で下りていくシーンがありした。このシーンに使われた坂道は横浜市南区中村町五丁目の米軍根岸住宅から下りてくる坂道でした。中村橋から米軍根岸住宅へは上り坂なのですが、その逆の下り坂を撮影に使っています。なかなか景色の良い坂道でした。

右の写真の坂道が撮影に使われました。当時は白いガードレールはなく、コンクリートのガードレールでした(まだ白いガードレールの外側にコンクリートのガードレールが残っていました)。また右側には崖があったのですが、現在は取り払われて住宅になっていました。当時の風景が一番残っていた坂道でした。


この後、小田原 酒匂川鉄橋、江ノ島 腰越、伊勢佐木町界隈などを掲載します。

天国と地獄 横浜地図 -1-



【参考文献】
・キングの身代金:エド・マルベイン、ハヤカワ・ミステリ文庫
・DVD 天国と地獄:黒沢明監督作品、東宝
・黒沢明 夢のあしあと:黒沢明研究会編、共同通信社
・黒沢明の映画:ドナルド・リチー、教養文庫
・黒沢明と「天国と地獄」:都築政昭、朝日ソノラマ


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