<出雲橋界隈(厳島閑談) 河上徹太郎>
小林秀雄、青山二郎、大岡昇平、河上徹太郎、永井龍男らのグループ(青山学院?)は物凄いですね。このエネルギーは何処からでているのでしょうか!皆で切磋琢磨して、レベルアップしていったのだとおもいますが、その切磋琢磨に耐えられるメンバーなんだとおもいます。今回は河上徹太郎が書いた「厳島閑談」の中にある「出雲橋界隈」を参考にしました。上記のメンバーが同じようなことを書いているのですが、それぞれ個性があって面白いです。古本しかありませんが、是非、一読することを薦めます。
「…この青山二郎、小林秀雄、永井龍男のトリオがまたわれわれのグループに大事な色彩を与へてゐるんですよ。三人とも江戸ッ子だ。簡単にいへば江戸ッ子の感性が知性になったといったものかな。さういへば久保田、長谷川両宗匠も江戸ッ子だ。青山といふのは一ノ橋に親爺が住んでゐて、その裏に借家を三軒建てたもんで、その一軒に青山二郎が住み、その隣に永井龍男が住んでゐた。そこへ小林がしょっちゅう入り浸ってゐたりして、その一ノ橋も思ひ出深い所ですね。その当時青山は武原はんさんと結婚してゐましてね。武原はんといふ人は目から鼻へ抜けるやうに気が利く人ですから、よくぼくたちに飲ませてくれたもんですよ、いろいろ工面してね。彼自身は酒があまり好きでもないし、強くもなかったけど、飲み上手でしたね。ぼくみたいに、すぐ酔っぱらったりはしなかった(笑)。そのかはり、まあ、辛辣(しんらつ)な奴でね、頭ごなしにやっつける。それは小林、青山、永井、三人ともみんなさうでしたね。なにしろ彼らのソレを逃げることはできないんだな。何かいふと、もう頭ごなしにやっつけてくる、これはいけねェと思ってこっちへ逃げると、こっちからもやっつけてくる。しかし、必ず一ヶ所は逃げ道を残しておくんです。だからほんとの不人情ぢやない。ぼくとか大岡昇平なんかはこの三人によく鍛へられたもんですよ。一ヶ所に逃げ道を残しておくといふ絡みにね。今日出海なんてのは、この三人の絡みがまづ嫌ひだつたな。今日出海も酒はみんなに鍛へられてだんだん飲めるやうになりましたけど、はじめは全然飲めない人でしたよ。…」。
青山二郎が武原はんさんと結婚して一の橋に住んでいた頃の話は青山学院の全員が書いています。一番生き生きしていた頃ではなかったのでしょうか!!
★左上の写真は河上徹太郎が書いた「厳島閑談」、金羊社版です。河上徹太郎の文章は大岡昇平、小林秀雄などと比べて難しいですね。斜めに読み飛ばす事ができません。一行一行読んでいかないとだめです。若い人には難しいかもしれません。