今週は「川端康成特集」の第二週目です。今回は”東京帝国大学時代を歩く”の第一回目として、東京帝国大学に入学した大正9年9月から大正10年までの2年間を歩いてみます。
<東京帝国大学時代> 川端康成が東京帝国大学一年のときに学制が大きく変わります。「実録 川端康成」では「川端さんが東京帝大一年のとき、学制が変わっている。二年の新学期は四月だ。したがって一年は実質的に七か月だ。川端さんと鈴木彦次郎氏は英吉利文学科から国文科へ移った。市河三富教授の英文法や発音学が苦手だったらしい。……試験のとき、本多氏が答案を書き終わってヒョイと横を見ると、川端さんが一字も書かないでぼんやりしている。本多氏が残り時間を持てあましていると、川端さんは手を伸ばして、すっと本多氏の答案をとり、ゆうゆうと写しはじめた。芳賀教授は強度の近視だったので、気づかなかったらしい。…」、とあります。大正10年から入学月が9月から今と同じ4月に変わったようです。カンニングは今も昔も同じですね、もっとも川端康成はこれで甲をとったようです(カンニングされた本多さんは乙だったのですが、カンニングしたほうの川端康成が文章力があっていい回答になったようです、さすがですね!)、もっとも昔はかなりおおらかだったようです。
★左上の写真は東京大学のシンボル「大講堂」です。大正12年9月1日の関東大震災は本郷キャンパスの正門側の主要建築のすべてを1日にして灰燼にしています。しかし大講堂は大正11年12月に着工されており、施工中に大震災があったものの被害はほとんどなく、大正13年10月に上棟し、翌14年7月6日に竣工式が挙行されました。鉄筋コンクリート構造、4階建で正面中央に時計塔が立っています(合名会社安田保善杜の創設者安田善次郎の寄付により作られています)。 |