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最終更新日:2006年2月19日


●川端康成「第一高等学校時代」を歩く
  初版2003年1月18日
  二版2003年2月15日 修善寺駅の写真を大仁駅に変更
<V02L03>
 今週から「川端康成」を特集します。ノーベル賞作家なのですこしテーマが重たいのですが、時間を掛けて掲載の回数を増やしながら歩いてみたいとおもいます。川端康成の生まれは関西の茨木市(新大阪駅から京都方面に五つ目の駅です)ですが、第一高等学校入学以降は東京で過ごしており、まず東京から順に歩いていきます。

 川端康成の人柄については川端康成の愛弟子と自認していた三島由紀夫が次のように書いています。「お若い時分、家主のおばあさんが家賃の催促に来ると、黙つていつまででも坐つてゐるだけで、おばあさんを退散させたといふのは有名な話だが、氏の私生活には、今もあんまり計画性といふものは見られない。昔、新進作家時代から、大きな家に住むのがお好きで、熱海に大邸宅を借りられたが、お客が泊るとなると、あわてて奥さんが貸蒲団屋へ走つたなどといふのも、たとへ作り話にしてもいかにも川端さんらしい挿話である。……ふしぎなのは、氏が来客のために割いてゐる時間である。はとんどお客を断らない氏のことであるから、在宅の折には、編集者、若い作家、骨董屋、画商などの、数人、時には十数人の来客が氏をとりまいてゐる。私はたびたびお訪ねして、その末席に連なつたが、立場もちがひ、用件もちがふそれだけの人の間で、主人側がどんどん捌いてゆかない限り、話題の途絶えてしまふことは当り前である。一人が何か喋る。氏が二言三吉答へられる。沈黙。又誰かの唐突な発言。又沈黙。……かうして数時間がたつて了ふ。(昭31年「永遠の旅人」より)」、結構不真面目でいい加減なところがあったみたいで、その上ほとんど喋らなかったようです。なんなんでしょうか!

<川端康成>
 ノーベル文学賞作家であまりにも有名ですね。生まれは明治32年(1899)大阪生まれ。一高、東大へ進み、東大在学中の大正10年に「新思潮」に掲載した「招魂祭一景」が菊池寛に認められて文壇にデビューします。大正13年には横光利一、今東光らと雑誌「文芸時代」を創刊し、「伊豆の踊子」、「雪国」、「千羽鶴」、「古都」などを次々に発表、昭和43年、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞します。昭和47年(1972)ガス自殺を図ります(72歳)。戦時中の鎌倉在住時は、久米正雄、高見順らと鎌倉文庫という貸本屋を開くなどして鎌倉文士の中心的な存在でした。

左の本は「伊豆の踊子」の復古版として昭和52年1月に日本近代文学館によって出版されたものです。元々は昭和2年3月20日に金星社により単行本として出版されています。面白いのは第二短篇集として出版されたことで、処女短篇集は大正15年(昭和元年)の「感情装飾」です。短編集ですから「伊豆の踊子」以外にも9編掲載されており、第一編は「白い満月」で「伊豆の踊子」は最後に掲載されています。

川端康成の「第一高等学校時代」年表

和 暦

西暦

年  表

年齢

川端康成の足跡

作  品

大正6年
1917
ロシア革命
浅草オペラ始まる
18
3月 茨木中学校を卒業
浅草蔵前の従兄田中岩次郎宅(森田町十一)に寄居
4月 駿河台の明治予備校に通う
9月、第一部乙類に入学。一高の三年問は寮生活(乙類)英文科
  
大正7年
1918
シベリア出兵
19
南寮四番
10月30日伊豆修善寺から下田へ旅行
 
大正8年
1919
松井須磨子自殺
20
中寮三番
和寮十番
石浜、三明氏と共に「エラン」に通い始める
一高雑誌に「ちよ」を発表  
大正9年
1920
国際連盟成立
21
7月 第一高等学校を卒業。
9月 東京帝国大学文学部英文学科に入学
 

従兄田中岩次郎宅>
 川端康成は茨木中学校を卒業後、東京の従兄田中岩次郎宅に寄宿して駿河台の明治予備校(現在の明治大学)にかよい、第一高等学校の受験準備にはいります。茨城中学校の卒業が3月で第一高等学校の入学が9月なので、すこし時間があるわけです。この当時のことを大正6年3月25日付のはがきで残しています。「十九日は色々厚情に賜り感謝仕候。予定通り二十一日蒲生秋岡方を発して上京。初めは先づ上村龍之介氏を訪ね候が更に表記田中方に転じ候。御存じの事と存候へ共田中氏は熊野田のおその様の息子にて現今は歯医者に候、尚おその様同家にありて諸々面倒を見てくれ真に好都合に候。先は上京の報告まで」、母方の実家の蒲郡経由で上京し、田中岩次郎方で面倒をよく見てもらっていることがわかります。

左の写真は路を写していますが従兄田中岩次郎宅跡の浅草森田町十一番地付近です。昔は田原町へ抜ける左側の路はなくて浅草方面への右側の道のみでしたので、写真真ん中辺りが浅草森田町十一番地となります。区画整理と道路建設ですっかり変わってしまっています。現在の住居表示だと蔵前4丁目6番と蔵前2丁目3番の間辺りです。

第一高等学校>
 川端康成は無事、第一高等学校一部乙類(英文科)に合格します。川端康成が通った第一高等学校は、まだ駒場に移転する前の向ヶ岡にあった時代で、3年間寮で過ごしています。「文学的自叙伝」では「…その一昔前の「浅草オペラ花やかなりし頃」は、私の一高時代で、私はオペラ女優にあこがれて浅草通いをし、なにをするにもいっしょだった石浜金作氏もひきずりこみ、日本館の二階に谷崎潤一郎氏などの姿を見て羨望に堪えなかったものだが、……私は三年足らず、降っても照っても浅草に日参した。…」とあります。石浜金作氏については「一高に入学すると直ぐから結ばれた石浜氏との交友は、全く共犯者という言葉しかないような深入りであった。書くこと多過ぎて書く気にもなれぬ。二身一体の因果者のように、相手が鼻につくことが自己嫌悪と同じに近い友人だった。…」、と書かれています。石浜氏とは浅草の「カジノ・フォウリイ」へ行ったり、本郷通りの青木堂でコーヒーやケーキを食べたりしてかなり遊んでいたようです。よっぽど仲かよかったのだとおもいます。

右の写真は現在の東京大学農学部(当時の第一高等学校)正門です。第一高等学校は明治27年(1894)当時の高等中学校を改組し高等教育を行う男子校として発足しています。期間は3年で第一高等学校(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、六高(岡山)、七高(鹿児島)、八高(名古屋)と、いわゆる国立のナンバースクールになっていました。昭和10年(1935)には第一高等学校(向ヶ岡)と東京帝国大学農学部(駒場)が敷地を交換し第一高等学校は駒場に移転しています。

<伊豆>
 川端康成は第一高等学校の寮があまり好きではなかったようです。「少年」では、「私は高等学校の寮生活が、一二年の間はひどく嫌だった。中学五年の時の寄宿舎と勝手がちがったからである。そして、私の幼年時代が残した精神の病患ばかりがきにてって、自分を憐れむ念と自分を厭ふ念とに堪えられなかった。それで伊豆へ行った。」、と書かれています。「伊豆の踊子」の元になる「湯ケ島での思い出」を書くのは東京帝国大学3年の時ですが、この時の伊豆への旅が「伊豆の踊子」を書くきっかけになります。この最初の伊豆旅行は第一高等学校2年の大正7年10月30日から11月7日にかけてだったようです。東京から東海道線で三島まで行き、駿豆線の終点大仁駅で降りて修善寺で一泊しています。ここから下田街道を湯ケ島から旧天城トンネルを超えて湯ケ野に行くのですが、天城峠で旅芸人の踊り子に会います。このあたりの事柄が川端康成のはがきで残っています。”大正7年10月31日付伊豆修善寺より”「お蔭で、昨夜当地につきつした。思ったほどよいところではありません。温泉につかってよい気持になりました。午後発って、湯ケ島に行きます。それから湯ケ野、下田の方へ温泉を巡ります。…」、”11月2日付静岡上河津より”では「二日天城峠を超えて湯ケ野に参りました。天城の峠路は実によいところです。此所で二泊ほどして下田の方へ参ります。…」と書かれています。よっぽといいことがあったようです。別途「伊豆の踊子」特集を組みたいとおもいます。(ご期待下さい!)

左の写真は伊豆箱根鉄道駿豆線の大仁駅です。大正7年当時は駿豆線は大仁までしか開通していませんでした。修善寺まで開通するのは大正13年8月になります。

東京帝国大学>
 川端康成は無事第一高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部英文学科に入学します。ここでも川端康成のはがきがあります。大正9年6月2日付「…小生もいよいよ七月一日無事卒業の筈なれば他事乍ら御休神被下度候。大学は東京の英文科を志望致し候。…」と書いています。当時は夏休み前に卒業するようです。川端康成の初恋は「エラン」というカフェーの”チィちゃん”という16歳の娘でした。この「エラン」は本郷真砂町にあり、第一高等学校の3年のときから通っていたようです。こちらの方も別途特集をしたいとおもいます。

右の写真は今の東京大学正門です。東京大学は戦災に合っていませんので昔のままです。

川端康成 東京地図−1−



川端康成 東京地図−2−



【参考文献】
・川端康成全集:川端康成 、新潮社
・伊豆の踊子:川端康成、近代文学館
・古都:川端康成、新潮社
・雪国:川端康成、鎌倉文庫版
・新潮日本文学アルバム川端康成:新潮社
・伝記 川端康成:進藤純考、六興出版
・小説 川端康成:澤野久雄、中央公論社
・川端康成とともに:川端秀子、新潮社
・川端康成の世界:川嶋至、講談社
・川端康成 文学の舞台:北条誠、平凡社
・実録 川端康成:読売新聞文化部
・川端康成:笹川隆平、和泉選書
・川端康成 三島由紀夫往復書簡:新潮社
・作家の自伝 川端康成:川端康成、日本図書センター
・川端康成展:日本近代文学館
・大阪春秋(川端康成と大阪−生誕100年−):大阪春秋社
・谷中・根津・千駄木(17、23、28):谷根千工房
・「雪国」湯沢事典:湯沢町教育委員会
・現代鎌倉文士:鹿児島達雄、かまくら春秋社
・文士の愛した鎌倉:文芸散策の会編、JTB
・川端康成その人とふるさと:茨木市川端康成文学館
・浅草紅團:川端康成、日本近代文学館
・浅草紅団:川端康成、講談社文芸文庫

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