今週は川端康成特集にもどり、鎌倉に転居してから昭和47年に逗子マリーナで自殺するまでを歩いてみたいとおもいます。鎌倉は転居好きの川端康成にしては長く住んだ土地ではないでしょうか、鎌倉で二回転居後の昭和21年以降は長谷の家にいつづけます。
< 逗子マリーナ
417号室>
昭和47年4月17日、川端康成は逗子市小坪の逗子マリーナ 417号室で自殺します。当日の朝日新聞によると「ノーベル賞作家、川端康成(72)は十六日夜、仕事に使っていた逗子マリーナ
マンション四階の自室で、ガス管を口にくわえ、自殺した。遺書はなく、原因については関係者の多くも首をかしげているが、川端氏は先月盲腸の手術をしたあと健康がすぐれなかったといわれ、最近同氏に会った人たちは「健康上の理由としか考えられない」としている。川端氏は、一貫して日本の伝統美を追求し、「日本の心の精髄を描いた作家」といわれており、日本はもちろん国際的にも注目されていた人だけに、突然の自殺は内外に強い衝撃を与えている。」、と書かれています。私も当日のニュースを聞いてびっくりした一人でした(当然ですがまだ学生でした)。
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