今週は東京から少し離れて川端康成の「伊豆の踊子」を歩きます。東京からは新幹線で三島まで約一時間、伊豆箱根鉄道に乗り換えて約30分位で修善寺駅に辿り着きます。西伊豆は暖かく、食べ物も美味しそうで住みやすい土地柄ではないかと思います。
<伊豆の踊子> 川端康成自身が三島由紀夫との座談会のなかで「…作品は非常に幼稚ですけれどもね。…『伊豆の踊子』は、うまく書こうというような野心もなく、書いていますね。文章のちょっと意味不明なところもてありますし、第一景色がちょっとも書けていない。…あれはあとでもう少しきれいに書いて、書き直そうと思ったけれども、もうできないんですよ。…沿道の伊豆の風光を学生が僕のところに聞いてくるのが、いまでもときどきありますよ…」、と発言しています。元になった作品の『湯ヶ島での思い出』を書いたのが23歳の時ですから、若い一途な心持ちの時に一気に書いた小説だと思います。『雪国』では後で相当書き直しています。
★左の写真は各出版社から出版されている『伊豆の踊子』です。大正15年の初版には解説は書かれていませんが、角川文庫版には川端康成自身が”「伊豆の踊子」について”と称して書いています。「…『伊豆の踊子』が私の作品のうちでも最も愛好されるにつけ、作者はむしろ反撥を覚えて伊豆の作品のなかでも「春景色」や「温泉宿」のほうがいいと言いたくなったが、近ごろ細川蔵書入れる時読み返してみて、久しぶりで作者自身この作品に率直に向かえた」、と思い出風に振り返っています。新潮文庫版では三島由紀夫が解説を書いています。「…これらの静的な、また動的なデッサンによって的確に組み立てられた処女の内面は、一切読者の想像に委ねられている。川端康成氏はこの「処女の主題」のおかげで、氏の同時代の作家が悉く陥った浅はかな似非近代的心理主義の感染を免れたのである。…まるでこの見事な若書(わかがき)の小説は、「甘い快さ」だけではこのような作品は成立しないことの証明として書かれたようなものだからだ。若書と私は言った。『伊豆の踊子』は日本の作家が滅多にもたない若さそれ自体の未完成の美をもっているが故に、(もし若書という言葉に善い意味がつけられるものなら)、決して作品の未完を意味しない真の若書ともいうべきものだ。…」、と、いつも通りの三島由紀夫調の書き方で”べたほめ”しています。
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