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最終更新日: 2006年4月22日


●神田明神(江戸総鎮守)2000年3月4日

  JR中央線御茶ノ水駅の聖橋口を出で、左手の聖橋をJR中央線の線路と神田川を見下ろしながら渡って、少し歩き、信号を右に曲がると左手が神田明神です。大きな鳥居(現在は地震対策の工事をしています)と鳥居の左側に甘酒屋(天野屋)さんがあります。ここの「明神甘酒」は、地下6mの天然の創業当時からの土室(むろ)より作り出される糀(米かうぢ)をもとに、さらに手を加えて生成し、熟成を待って作り上げられたものだそうです。うたい文句は『「明神甘酒」は“生きている自然の甘味”です。』です。その他では、神田明神名物「芝崎納豆」「江戸味噌」「久方味噌」(なめみそ)があり、全て天野屋さんで売っていますのでお参りの折はお買い求めて下さい。鳥居をくぐると、右側に三河屋さんがあります。天野屋さんと同じく、お土産屋さんです。もう正面は神田明神です。残念ながら梅はまだ咲いていませんでした。(左の絵は天野屋さんホームページより)

kandamyojin3-w.jpgカラフルな随神門をくぐって入ると、もう正面は神田明神の御神殿です。丁度、結婚式が行われていました。このごろの結婚式は教会が多くて、なかなか神前結婚式はなかったので珍しく見てしまいました。御神前で行われていたため、誰でも見る事ができます。ご親族の方が両側に座って、新郎新婦が向かい合わせで座っています。(ホテル等の神前結婚式では新論新婦は向かい合わせではなくて、神前を向いています)仲人さんがその手前に座っています。(←右側の写真を参照して下さい、拡大した方が分かりやすいです)緊張の一瞬ではないかと思います。左側では写真とビデオを撮っています。参詣にきた人たちが皆見ていました。


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神田神社の由来(通称:神田明神)>

一の宮 大己貴命(大国主命・だいこくさま)
二の宮 少彦名命(恵比寿・えぴすさま)
三の宮 平将門命(まさかどさま)
大己貴命は別名大国主命または「だいこく様」と申して慕われている神様です。家庭円満、縁結び、商売繁昌、事業繁栄の守護神として大変親しまれており、特に縁結びとは、男女の仲を結ぶことだけでなくすべてのものが幸福であるようにと、互いの発展の為の繋がりが結ばれることであります。 また社伝の「勝守」(徳川家康公天下分け目の関ケ原合戦に勝守を授かり勝利を得たことに、縁起の守りとされたそうです。)は心願成就の守りとして学業、入試、取引、勝負等に御神徳をいただこうと信仰されている霊験あらたかなお守りとして知られています。
社伝によると聖武天皇の天平2年(730)の創建といわれています。はじめは武蔵国豊島郡江戸芝崎(現在の千代田区大手町将門塚周辺)に宮居が定められていました。桓武夫皇六代の皇胤なる平将門公を葬った所が、神田明神から百歩の地であったといわれています。延慶2年(1309)には将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けこの地の守護神にされました。そして元和2年(1616)に現在地に遷座し、江戸城の艮鬼門(うしとら)の守護神となり、二代将軍秀忠の命により桃山風の豪華な社殿が築かれ、江戸総鎮守として面目を一新しました。また明治元年には勅祭社に准ぜられ、同7年には明治天皇が御親拝されました。(神田明神案内パンフレットより)

<神田祭>
この祭礼は、江戸域内に参入し徳川将軍上覧の祭であったことにより、御用祭、天下.祭ともいわれ、江戸ッ子気質を惜し気もなく発揮し、各町競っての山車、練物は、華美を尽くし、御本社の神輿を中心とした行列は、数キロに及んだといわれています。今日尚、五月には二百基に及ぶ神輿と共に鳳輦軍を中心とした神事は、あたかも平安絵巻さながらに繰り広げられ、大都会の中枢部を占める、神田、日本橋、大手町、丸の内地区の氏子108町の誇りとされています。(神田明神案内パンフレットより)

【参考図書】
・千代田の文化財探訪:千代田区教育委員会
・神田祭:神田神社社務所

【見学について】
・天野屋:千代田区外神田2-18-15 休:日曜日
・神田明神:千代田区外神田2-16-2  田明神ホームページ

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