< 松竹キネマ蒲田撮影所跡> この蒲田が戦前有名だったのは、大正9年(1920)から大船に移転する昭和11年(1936)までの17年間「松竹キネマ蒲田撮影所」が蒲田駅東口にあったからです。原作:つかこうへい、監督:深作欣二で、風間杜夫の”銀ちゃん”の「蒲田行進曲」の映画は有名ですね。つかこうへいの「蒲田行進曲」の書き出しは「スタジオの中は、うだるような暑さだ。頭の上から十キロワットの照明が三十台もギラつき、天窓も通気孔もなく、鉄の扉を閉めると空気は淀んだまま流れようもない。衣裳はぐっしょり汗を吸いこみ、体が倍くらいに重くなっていた。羽織の衝から汗がポク ボタしたたり落ちて、足元のコンクリートに黒い水たまりをつくっている。俺たち大部屋は、スタッフの打ち合わせの間、スターさんのように外に息ぬきにでることもできず、暗がりにひとかたまりになって、じつと待っている。「土方歳三、準備OKですね」 「よろしくおねがいします」浅黄色のだんだら模様の羽織に、額には??誠?≠フ鉢巻きを締めた銀ちゃんは、初の主演作品ということもあって、神妙な顔つきであちこちに深々と頭を下げた。銀ちゃん、のはじめての主演作品だ。俺たちもがんばんなきゃあ。」とあります。ただこの撮影場所は京都の太秦です。。
★左の写真は昭和61年に「キネマの天地」で使われた松竹橋です。松竹キネマ蒲田撮影所は高砂香料に売却され、その高砂香料の跡地は「アロマ・スクエア」として再開発されています。この松竹橋は「アロマ・スクエア」に記念碑として残っています。
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