<清洲橋という鉄橋> 清洲橋についてはウイキペディアを参照します。
【清洲橋(きよすばし)着工 大正14年3月、竣工 昭和3年3月】
隅田川にかかる橋で、東京都道474号浜町北砂町線(清洲橋通り)を通す。西岸は中央区日本橋中洲、東岸は江東区清澄一丁目。「清洲」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られた。関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋(英語版、ドイツ語版)の大吊り橋をモデルにしている(その橋は第二次世界大戦で破壊された後、別の橋が再建された為、現在は吊り橋ではない)。海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さくする努力がなされた。もともと「中州の渡し」という渡船場があった場所でもある。
永井荷風の「深川の散歩」より
「… 清洲橋という鉄橋が中洲から深川|清住町の岸へとかけられたのは、たしか昭和三年の春であろう。この橋には今だに乗合自動車の外、電車も通らず、人通りもまたさして激しくはない。それのみならず河の流れが丁度この橋のかかっているあたりを中心にして、ゆるやかに西南の方へと曲っているところから、橋の中ほどに佇立むと、南の方には永代橋、北の方には新大橋の横わっている川筋の眺望が、一目に見渡される。西の方、中洲の岸を顧みれば、箱崎川の入口が見え、東の方、深川の岸を望むと、遥か川しもには油堀の口にかかった下の橋と、近く仙台堀にかかった上の橋が見え、また上手には万年橋が小名木川の川口にかかっている。これら両岸の運河にはさまざまな運送船が輻輳しているので、市中川筋の眺望の中では、最も活気を帯び、また最も変化に富んだものであろう。
或日わたくしはいつもの如く中洲の岸から清洲橋を渡りかけた時、向に見える万年橋のほとりには、かつて芭蕉庵の古址と、柾木稲荷の社とが残っていたが、震災後はどうなったであろうと、ふと思出すがまま、これを尋ねて見たことがあった。
清洲橋をわたった南側には、浅野セメントの製造場が依然として震災の後もむかしに変らず、かの恐しい建物と煙突とを聳かしているが、これとは反対の方向に歩みを運ぶと、窓のない平い倉庫の立ちつづく間に、一条の小道が曲り込んでいて、洋服に草履をはいた番人が巻煙草を吸いながら歩いている外には殆ど人通りがなく、屋根にあつまる鳩の声が俄に耳につく。…」
先ず、橋は
下流に向って永代橋、
上流に向って新大橋が見えます。永代橋は手前に首都高9号線があり、現在は綺麗には見えません。新大橋は昭和52年に架け替えられていますので、
荷風が見た新大橋は此方になります。又、”削除浅野セメントの製造場”は現在は
讀賣新聞の印刷所になっています。
【永代橋(えいたいばし)】
隅田川にかかる橋で、東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)を通す。西岸は中央区新川一丁目、東岸は江東区佐賀一丁目及び同区永代一丁目。元禄時代より橋は架けられており、明治30年(1897)道路橋としては日本初の鉄橋として、鋼鉄製のトラス橋が現在の場所に架橋された。明治37年(1904)には東京市街鉄道(後の東京都電)による路面電車も敷設された。しかし、橋底には木材を使用していたため、関東大震災の時には多数の避難民とともに炎上し、多くの焼死者、溺死者を出した。その後、大正15年(1926)に震災復興事業の第一号として現在の橋が再架橋された。(ウイキペディア参照)
【新大橋(しんおおはし)】
隅田川にかかる橋で、東京都道・千葉県道50号東京市川線(新大橋通り)を通す。西岸は中央区日本橋浜町2・3丁目、東岸は江東区新大橋1丁目。この橋は元禄時代から架けられており、明治18年(1885)に新しい西洋式の木橋として架け替えられ、明治45年(1912)7月19日にはピントラス式の鉄橋として現在の位置に生まれ変わった。竣工後間もなく市電が開通し、アールヌーボー風の高欄に白い花崗岩の親柱など、特色あるデザインが見られた。戦後、修理補強を行いながら使われていたものの、橋台の沈下が甚だしく、橋の晩年には大型車の通行が禁止され、4t以下の重量制限が設けられていた。昭和52年(1977)に現在の橋に架け替えられた。旧橋は前記のようなデザインを有する貴重な建築物として、愛知県犬山市の博物館明治村に中央区側にあたる全体の8分の1、約25mほどが部分的に移築されて保存されている。(ウイキペディア参照)
”
油堀の口にかかった下の橋と、近く仙台堀にかかった上の橋が見え、また上手には
万年橋が小名木川の川口にかかっている。”はそれぞれ撮影しておきました。又、橋柱は
上の橋の橋柱が四本とも残っていました。
★写真は現在の清洲橋です。撮影は影ができないように左岸から撮影しています。