<市川駅と闇市>
今週も前回に引き続いて高橋俊夫さんの「葛飾の永井荷風」を参考にして歩いてみました。「断腸亭日乗」には市川の地名やお店、建物の名前が数多く登場しています。その全てを回りたいのですが、不明な建物もあり、出来るだけ多く歩いてみました。まず最初はJR市川駅(当時は国鉄)周辺です。「断腸亭日乗」の昭和21年と22年からです。
「…昭和廿一年
一月十九日 晴、寒気甚しからず、午後省線停車場前に露店多く出ると開き、行きて見る。
一月廿一日 細雨霧々、午に至って賓る、風暖にして春既に来るの思ひあり、駅前の露店にてわかさぎ佃煮を買ふ、一包弐拾円なり、
三月十五日 時、春風媚々、停車場前の闇市にて老婆の、ふかしたる里千手リを売りゐるを見たれば、何となし花見頃のむかしを思出で‥しれを購、ふ、相し一つ一円とは驚くべし、
ここから昭和廿二年
三月十日 晴、風寒し。午後市川駅前のマーケットにて精進揚を買うて帰る。
六月初一日 時。市川駅前の天ぷら屋に麦酒を飲む。一填金百参拾円。車海老天象羅一人前五拾円なり。
六月初六日 時々細雨。市川にても遠からず喫茶其他飲食店なくなるべしとの噂あれば午後海神への行がけ駅前のマーケットにて鰻蒲焼を食す。一串金弐拾円なり。
六月念八日 細雨終日糠の如し。市川駅前のマーケットに鰻飯九十円を食して海神に行く
七月初一日 時々細雨。駅前マーケットの天麩羅屋に至る。
十月念一日 雨ふりて風寒し。市川駅前の闇市に茶を喫す。…」。
永井荷風が出没した当時の市川駅は平屋の駅舎でした。高架化したのは昭和47年で、錦糸町駅〜津田沼駅間が複々線化し快速が走るようになっています。それにしても、荷風は鰻と天麩羅が大好きですね!
★写真は現在のJR市川駅です。正面右が高架の駅舎で、右側にパスターミナル、左側のビルのところが市川駅前闇市跡です。市川市立図書館には昭和32年の住宅地図があり、市川駅前の闇市が「市川睦会マーケット」として書かれていました。一読されるとおもしろいですよ!!