<葛飾の永井荷風 高橋俊夫>
永井荷風を歩くには「断腸亭日乗」が一番なのですが、やはり地元での”荷風本”が出版されていればとおもい、探してみました。戦後の荷風については様々な本が出版されていますが、市川については高橋俊夫さんの「葛飾の永井荷風」が一番のようですので、この本と「断腸亭日乗」、定番の秋葉太郎さんの「考證 永井荷風」を参考にしながら市川を歩きました。
「…永井荷風が空襲で麻布の偏奇館を焼かれ、流浪の末、葛飾の里菅野に移り住んだのは、敗戦の翌年昭和二十一年の一月であった。時に荷風六十七歳。やがて八幡の新居に移り、昭和三十四年、八十歳で長逝した。十三年間の葛飾ぐらしであった。わたくLは荷風が菅野に住む以前から、菅野とは目と鼻の先である真聞手古奈堂の近くに住んでいた。わたくLは長身の荷風が、よれよれの背広に下駄ばきで買物かごを手にして市川の闇市を歩く姿を何度か目にしている。そのころ、わたくしはまだ開成中学の生徒だったが、やつした姿の中に、どこか垢抜けた気品を感じとっていた。…」。
現在、葛飾という名称が付いているのは「東京都葛飾区」しかありませんが、葛飾という名称はこの地区固有の名前ではなく、もともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称だったようです。この場合の「葛飾」とは、中心を現在の千葉県市川市付近として、北を埼玉県北葛飾郡、西を東京都葛飾区や墨田区付近、東を茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場しています。ですから、高橋俊夫さんが書いた「葛飾の永井荷風」という題名はぴったりなわけです。
★写真は高橋俊夫さんの「葛飾の永井荷風」、昭和55年1月、崙書房版です。上記に書かれているとおり、高橋俊夫さんは永井荷風の研究家で、他にも「墨東綺譚の世界」他も出版されています。