
2001年に永井荷風の「断腸亭から編奇館までを歩く」を掲載しましたが、今回からは、より詳細に更新版を掲載する予定です。今回の参考図書は、秋庭太郎の「永井荷風」に関する全ての図書と、永井永光さんの「父 永井荷風」、大岡昇平全集17です。
「…十一月八日。麻布市兵衛町に貸地ありと聞き赴き見る。帰途我善坊に出づ。此のあたりの地勢高低常なく、岨崖の眺望恰も初冬の暮靄に包まれ意外なる佳景を示したり。西の久保八幡祠前に出でし時満月の昇るを見る
十一月十二日。重て麻布市兵衛町の貸地を検察す。帰途氷川神社の境内を歩む。岨崖の黄葉到処に好し。日暮風漸く寒し。
十一月十三日。市兵衛町崖上の地所を借る事に決す。建物会社社員永井喜平を招ぎ、其手続万事を依頼せり。来春を侯ち一廬を結びて隠棲せんと欲す。夜木曜会運座に往く。
五月廿三日。この日麻布に移居す。母上下女一人をつれ手つだひに来らる。麻布新築の家ペンキ塗にて一見事務所の如し。名づけて偏奇館といふ。…」。
「断腸亭日乗 第一巻」から、永井荷風が新居を麻布市兵衛町に決定し、引っ越すまでを抜き出しました。永井荷風は麻布市兵衛町に決めるまでに、芝白金三光町の売家や小石川金富町の売地等を見ていますが、やはり一番良かったのが麻布市兵衛町だったのでしょう。
★左上の写真は御組坂から泉ガーデンタワーを撮影したものです。この付近は再開発で永井荷風が住んでいたころからはすっかり変わってしまっています(下記に地図を掲載しています)、下図は昭和16年の地図で、その上に茶色で薄く書かれているのは現在の地図です。赤く書かれたところが編奇館跡です。編奇館跡は現在の泉ガーデンタワー正面のところになります。写真前の通り右側に「編奇館」の記念碑があります。