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最終更新日:2006年2月19日


●永井荷風生誕の地を歩く (伝通院から黒田小学校まで:明治12年〜26年)
  
初版2000年8月26日 1版

 今日は永井荷風特集の第一弾として伝通院から黒田小学校まで永井荷風生誕の地を歩いてみました。

 東京駅から営団地下鉄丸ノ内線に乗り、後楽園で降りて、右手に最上階に展望台のある文京区区役所、後ろに後楽園ドームを見ながら、左に曲がって富坂を登っていきます。富坂の左側は中央大学理工学部で、高層ビルになっていてあまり風情がありません。坂の上がちょうど伝通院前で、右に折れると約100mで木々に覆われた伝通院です。「衰へた夕日のやうな入梅の薄日和、牛天神の森陰に紫陽花の花咲く頃、又は旅烏の群の啼き騒ぐ秋の夕方、沢蔵稲荷の銀杏の樹の止む時もなく落葉する頃、私は散歩の足を伝通院の門外なる大黒天の階に休める度々、そこに安置された昔の儘なる賓頭廬の像を撫でゝ変り果てた小石川の故里に、過ぎ去つた時代の人達の今頃はどうなつて仕舞つたかを思はずには居られない。」永井荷風の『伝通院』(明治43年7月成稿、8月「三田文学」、明治44年3月5日『すみた川』に収録) に書かれています。相変わらず町の風景の描写がなんともいえませんね!(左の提灯をクリックして下さい)

<伝通院>
1415年創建。正式呼称は無量山伝通院寿経寺。徳川家康の生母(於大の方)の法名「伝通院」にちなみ、通名となっています。将軍家の帰依も厚く、関東18檀林の一つで、境内には於大の方をはじめ徳川2代将軍秀忠の娘千姫などの墓があります。
又、文久3年(1863)2月4日、幕末の治安維持を目的とした組織、「浪士隊」の結成大会が処静院(しょじょういん:伝通院の塔頭の一つで伝通院前の福聚院北側にありました。その後廃寺となっています)で行われています。山岡鉄舟、清川八郎を中心に総勢250名。その後、浪士隊を離れて、新撰組として名をはせた近藤勇、土方歳三、沖田総司、後の新選組局長となる芹沢鴨などが加わっていました。一行は文久3年2月8日、中山道をとおって京都へと発っています。年号が明治と改まる5年前のことです

<北野神社 牛天神>
 「成程小石川の方がよく見えるな。…あすこの、明いところが神楽坂だな。さうすると、あすこが安藤坂で、樹の茂ったところが牛天神になるわけだな。おれもあの時分には随分したい放題な熟似をしたもんだな。併し人間一生涯の中に一度でも面白いと思う事があればそれで生まれたかひがあるんだ。時節が来たら諦めをつけなくつちやいけない」 永井荷風の『つゆのあとさき』です。。牛天神下の交差点から安藤坂へ少し登った所の細い道を右に折れると、北野神社の入り口です。右の写真でわかりますがかなり急な階段です。階段を登らずに左に回っていくと牛坂(うしざか)で、北野神社の社殿に出ることができます。

北野神社は、江戸時代金杉神社、俗に牛神社と呼ばれていました。御祭神は菅原道真公です。縁起によると、寿永元年(1182)源頼朝が東国経営の途中で、夢に出てきた菅原道真公の立っていた跡に、牛の形をした意志(牛石という)があったそうです。(現在は社殿の前にあります)

 
seitan1w.jpg<永井荷風生誕の地>
 「旧幕の御家人や旗本の空き屋敷が其処此処に売り物となっていたものをば、この頃私の父は、三軒ほど一まとめに買ひ占め、古びた庭園の木立をそのままに広い邸宅を新築した・・・・」永井荷風の『狐』で、荷風の生家での思い出がつづられています。
 伝通院前の交差点から安藤坂を少し降りて、最初の曲がり角を右に折れると、左側に三井家の邸宅があります。(三井家の隣は駐車場になっていて、(多分三井家が貸している)時代を感じますね)その先の道は楔型になっていて一度左に曲がり、すぐに右に曲がります。ちょうど右に曲がった左側にKAWAGUCHI APARTMENTSがあります。このアパートメントは作家の川口松太郎氏(婦人は女優の三益愛子:御夫婦とも故人)が建てられたものです。KAWAGUCHI APARTMENTSから10m位で永井荷風生誕の地の記念碑があります。(左の写真です)
 永井荷風は明治12年(1879)12月、すぐ左の細い路地の左側20番25号あたり(旧金富町45番地)で生まれています。そして、明治26年飯田町に移るまで、約13年間ここで住んでいます。明治19年には黒田小学校(現区立五中の地)に入学し4年で卒業して旧竹早町の師範学校付属小学校に入学しています。

kuroda-school1w.jpg<黒田小学校(現区立第五中学校)>
 黒田小学校は明治11年(1878)第四中学区26番公立小学「黒田学校」としてここに設立されています。当時、水道端2丁目(現水道2丁目)に居住していた黒田長知(旧福岡藩主)が明治維新の功績による政府賜米2000石を東京府に献納して、小日向地区へ学校設立を請願しています。東京府はその篤志を永久に伝えるため、校名を黒田学校としました。卒業生の中には、永井荷風、黒沢明などがいます。昭和20年空襲で校舎は全焼し、翌年3月31日をもって黒田小学校は廃校になり、輝かしい68年の歴史を閉じました。

伝通院付近地図

【参考文献】
・永井荷風の東京空間:河出書房新社 松本哉
・断腸亭日乗(上)(下):永井荷風 岩波書店
・永井荷風ひとり暮し:松本はじめ 朝日文庫
・荷風散策:江藤 淳 新潮社
・荷風語録:川本三郎 岩波書店
・荷風と東京:川本三郎 都市出版

【交通のご案内】
・牛天神/伝通院:営団丸ノ内線「後楽園駅」下車 徒歩10分

【見学について】
・牛天神:東京都文京区文京区春日1-5-2
・伝通院:東京都文京区小石川3-14-6
・永井荷風生誕の地:東京都文京区春日2-20-25

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