<「デモ私 立ッテイマス ユーハイム物語」>
「ユーハイム」はドイツ人のユーハイム夫妻が創設したドイツ菓子のお店で、有名なので皆さん良くご存知だとおもいます。お二人はカール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイム氏(Karl
Joseph Wilhelm Juchheim)とエリーゼ夫人(Elise)です。このお二人の「ユーハイム」創設を書いたのがこの「デモ私
立ッテイマス ユーハイム物語」です。”あとがき”にも書かれていますが、この出版時はまだご存命であったエリーゼ夫人の記憶と、関係者の皆様の記憶が頼りだったようです。特に初期の東京、横浜時代はエリーゼ夫人から聞き取らないと分からないことばかりだったとおもいます。
「デモ私 立ッテイマス ユーハイム物語」からです。
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「一九一四年。十一月七日……
ソレカラ、コトシ。チョウド五十年ネ」
エリーゼ夫人は、聞き手に、同意を求めるように、また、自分白身に言い聞かせるように、青い眼を輝かせながら、ちいさいかわいい顎を引いていた。たどたどしい日本語に、かえって実感がこもる。
一九一四年といえば、大正三年。一九六四年のことしから数えて、まさに五十年前だ。
その十一月七日の午前三時。それはエリーゼ夫人にとって、忘れられない日時となった。
その日、その時刻。いままで日本軍に頑強に抵抗していた青島背面のイルチス山・ビスマルク山・モルトケ山などの各要塞陣地が、いっせいに白旗を掲げたのだ。
つい三ヵ月前。セルビア国青年のオーストリア皇太子狙撃に端を発した戦争は、一瞬の間に全世界をその渦中にたたきこんでいった。第一次世界大戦である。
その時の日本は、第二次世界大戦とは反対に、連合国側に立って参戦した。八月二十三日。ドイツに宣戦を布告すると同時に、ドイツ東洋艦隊の根拠地である膠州湾攻略に、イギリスとともに兵を出した。…」
昭和48年、「デモ私 立ッテイマス ユーハイム物語」とほとんど同じ内容で、頴田島三郎氏が新泉社から「カール・ユーハイム物語」を発行しています。一般本化されたものとおもわれます。
頴田島三郎氏の「菓子は神様 カール・ユーハイム物語」から、同じ場面からです。
「 3
一九一四<大正三>年十一月七日午前三時。それはカール夫妻にとって、忘れられない日時となった。
その日、その時刻。いままで日本軍に頑強に抵抗していた青島背面のイルチス山、ビスマルク山、モルトケ山などの各要塞陣地が、一斉に白旗を掲げたのだ。
つい三ヵ月前、セルビア国青年のオーストリア皇太子狙撃に端を発した戦争は、一瞬の聞に全世界をその渦中に叩き込んでいった。第一次世界大戦である。
その時の日本は、第二次世界大戦<太平洋戦争>とは反対に、連合国側に立って参戦した。青島攻撃は必至である。
八月一日、ドイツの対仏・露宣戦布告と同時に東洋所在のドイツ軍艦のすべてが青島軍港に集結し、陸軍も勇躍国歌を歌いながら膠州湾防禦要塞の守備についた。二日には戒厳令が出た。
日本の新聞にも「挙国皆兵の実を挙げつつあるは即ちドイツで、老幼婦女子とヨタヨタ腐甲斐のない男子とを除いて全国民の百分の一強は兵籍に入っている」(八月八日『朝日新聞』)と報道されているくらいである。…」
ほとんど同じです。いままで無償配布していたものを、内容をブラッシュアップし、一般本として発行しています。
★写真は昭和39年9月に株式会社ユーハイムから《非売品》として発行されたものです。当初は社史扱いで配布されていたとおもいおます。私の取得した本は昭和45年5月三版です。ご主人のカール・ユーハイム氏は昭和20年(1945)に、エリーゼ夫人は昭和46年(1971)に神戸で死去されています。