<「カール・ユーハイム物語」>
「ユーハイム」はドイツ人のユーハイム夫妻が創設したドイツ菓子のお店で、有名なので皆さん良くご存知だとおもいます。お二人はカール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイム氏(Karl
Joseph Wilhelm Juchheim)とエリーゼ夫人(Elise)です。このお二人の「ユーハイム」創設を書いたのが「デモ私
立ッテイマス ユーハイム物語」です。”あとがき”にも書かれていますが、この出版時はまだご存命であったエリーゼ夫人の記憶と、関係者の皆様の記憶が頼りだったようです。特に初期の東京、横浜時代はエリーゼ夫人から聞き取らないと分からないことばかりだったとおもいます。昭和48年、「デモ私
立ッテイマス ユーハイム物語」とほとんど同じ内容で、頴田島三郎氏が新泉社から「カール・ユーハイム物語」を発行しています。いままで無償配布していたものを、内容をブラッシュアップし一般本化されたものとおもわれます。
頴田島三郎氏の「カール・ユーハイム物語」から、捕虜から解放された頃です。
「… 日本側でもドイツ捕虜の豊富な技術面を高く買い、その活用を考えていた。
カールと同じ捕虜仲間だったブロインドリーフが、愛知県半田町の「敷島パン」の主任技師に迎えられたのも同じ時期だった。現在銀座西五にあるドイツ料理「ローマイヤー」の先代のアウグスト・ローマイヤーも同じ青島の捕虜で、ソーセージの店「デリカテッセン」を始めたのも、同じこの時期だった。
先のクルップ会社の前日本総支配人ランド・グラーフの運動に強く賛成した日本人は磯野長蔵だった。
「では、私の店でも何人か引き受けましょう」
と卒先して申し入れた。彼は、横浜に本店を持つ食料品店明治屋の社長で、当時朝鮮京城に支店を持っていたという視野の広い人物だった。
彼はこの機会に東京支店のほかに、新しく洋風喫茶店を銀座に持とうと決心したのだ。そこの製菓部の主任に三年契約でカール・ユーハイムを採用する。もうひとり、ヘルマン・ウォルシケをソーセージ製造主任に、バンーフオーテンを喫茶部主任をかねた支配人に。
この三人のドイツ捕虜によって「カフェー・ユーロップ」が東京銀座の真中に開店されることになうた。…」
★写真は昭和48年、「デモ私 立ッテイマス
ユーハイム物語」とほとんど同じ内容で、頴田島三郎氏が新泉社から「カール・ユーハイム物語」を発行した本の表紙です。