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最終更新日:2006年4月22日


●自由学園 明日館 《重要文化財》 

  
初版:2000年1月29日、二版:自由学園の保存修復後の写真に入替<2003/06/08>

 JR山手線池袋駅の新宿寄りのメトロポリタン口を降りてホテルメトロポリタンの横を通って池袋警察の所から細い路地に入っていくと婦人之友社の前が自由学園です。(婦人之友社と自由学園は同じグループです)この建物は旧帝国ホテルを設計した、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計になる建物です。

 羽仁吉一・もと子夫妻がこの地に自由学園を創立したのは1921年(大正10年)です。校舎の建設にあたって、当時、旧帝国ホテルなどの設計のため日本に滞在中のライトを夫妻に推薦、紹介したのが、夫妻の友人でライトの設計助手をつとめていた遠藤 新氏です。同氏もこの学園校舎の設計に携わりました。ライトは、羽仁夫妻が目指す教育思想に大いに共感し、それを設計コンセプトの基調としました。1997年5月に国の重要文化財の指定を受け、ライト作品としては、芦屋の山邑邸についで2件目です。ライトの日本での最後の作品は、奇しくもライトの記念すべき第1作「ヒルサイド・ホーム・スクール」と同じ学校建築となりました。最後の東棟が竣工するのが1926年ですから、ライトの帰国後のことです。帰国後は、ライトの弟子、遠藤 新氏が引き継ぎ、完成させています。完成後ライトが遠藤 新氏と連名で羽仁夫妻に送った手紙には次のように書かれています。(明日館絵葉書より)
 「この小さな校舎は自由学園のために、その名が表すものと同じ自由の精神によって設計されました。この建物は幸せな子どもたち、飾り気のない素直な子供たちのための簡素な楽しい場所となるべく考えられました・‥…。」

 当初自由学園は普通科(現在の中学)および高等科の女子生徒のために設立されましたが、その後男子部を創設する計画が具体化した段階で、1934年に、より広大な南沢キャンパス(現東久留米市)に移転しています。従ってこの校舎が学園教育の本拠地として使用されたのはわずか13年間でした。羽仁もと子さんがこの建物に「明日館」という将来へ向けての前進を示唆する名を冠したのもその折のことで、本校移転後のこの校舎に“新しい生命”を、という願いが込められています。以来明日館は自由学園工芸研究所、消費経済研究部、食事研究グループといった女子部卒業生の事業活動の場となって今日に至っています。明日舘の建築様式はいわゆるツーパイフオーの木造で、ライトの第一期黄金時代の作品にみられる、地を這うような高さを押さえた佇いが特徴です。それは彼の出身地ウイスコンシンの大草原を舞台としてライトが発想した草原住宅のイメージであり、明日舘建設当時の周辺環境もいまの池袋界隈とは別世界の観であったことがしのばれます。(明日館絵葉書より)

【フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)】
旧帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトは、数多くの設計をしていますがアメリカ以外での設計はほとんどありません。カナダで3件、日本で6件とわずか9件のみです。カナダでの作品が存在していませんので、アメリカ以外の国では日本でしかライトの作品を見る事ができません。(ライトが日本に残した設計は、6件)日本での設計は、旧帝国ホテルや、重要文化財の山邑邸、自由学園明日館など、素晴らしい作品があり、ライトをよく理解するうえで重要な建築物ばかりです。(左側の写真は自由学園明日館の絵葉書より転用)

【ライトの日本での業績(設計年代順)】
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  1 帝国ホテル 東京 1912年
  2 林 愛作邸 東京 1917年
  3 福原有信邸 箱根 1918年
  4 山邑太左衛門邸 芦屋 1918年
  5 帝国ホテル別館 東京 1920年
  6 自由学園 東京 1921年
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【見学について】
所在地:東京都豊島区西池袋2丁目31−3

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