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最終更新日:2006年4月22日


●旧岩崎家住宅(台東区池之端) 
    霜月四週目の散歩情報 《重要文化財》
1999年11月28日 <V01L01>

  今日も前々回に引き続き、都内文化財一斉公開で、池之端の三菱財閥の始祖、旧岩崎家住宅が公開されるとのことで事前にはがきで予約して見学してきました。JR上野駅で降りて不忍通りを池の廻りに沿って歩いていくと池之端文化センターの隣が旧岩崎家住宅の入り口です。現在工事中で正面にも工事用の櫓が組まれており、あと数年は掛かるとの事でした。説明は文化庁の方にしていただき一時間半ミッチリの説明でした。
屋敷地は、江戸期は旗本榊原康政(さかきばらやすまさ)(徳川家康四天王の一人)の屋敷があり、明治維新のときに薩摩の桐野利秋(きりのとしあき)がここを占拠、西郷隆盛の西南の役に殉じて鹿児島に帰ったあと、明治11年に岩崎家の所有となっています。第二次世界大戦後、三菱の戦後の財産税の物納で、一時民間の所有となりそのあと、国有(最高裁判所所管)となり、最高裁判所司法研修所等として利用されていましたが、平成6年から文化庁の所管となり現在にいたっています。昭和36年に洋館と撞球室が重要文化財に指定され、大広間は洋館東脇にある袖塀とともに昭和44年に重要文化財に指定されました。また、宅地、煉瓦塀、実測図は 平成11年3月こ墓要文化財に指定されました。岩崎家はここのほかに高知に生家が、高輪に本邸(開東閣)、熱海別邸(陽和潤)があり全て現存しています。

概要(文化庁パンフレットから)iwasaki2-w.jpg
洋館と和館を併設する典型的な明始期の大邸宅で洋館、大広間、撞球(ビリヤード)室等が現存しています。敷地のほぼ中央北寄りに洋館があり、洋舘の北東側に撞球室が建っています。古くは敷地の西方に本宅として使用された和館群が建ち並んでいたが、現在は大広間を除き失われています。東南部に庭園をもつ屋敷地は、東側からの進入路、洋館玄関正面のロータリー、周囲の一部に残る煉瓦塀等に往時の面影をとどめています。建物のうち洋館と撞球室がコンドルの設計で、明治二九年の建築。洋館は木造二階建て、地下室付きで、建築面積は531.5?u。英国一七世紀初頭の建築様式を基調とし、全体としては一九世紀の米国の住宅建築に近く、明治洋風建築の代表作として高く評価されています。撞球室は建築面積138.0?u、木造一階建ての山小屋風の洋風建築。大広間は、畳敷きの大きな部屋を持つ和風建築で、吟味された資材や技術を駆使して造られています。ともに当時の大邸宅の構成や景観を知る上で貴重な建物です。

ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852-1920)
日本の近代洋風建築の普及に最も功績のあった英国人建築家。ロンドンに生まれ、東京にて没。
1877年来日。工部省技師、工部大学校(現東京大学工学部)教師等をつとめています。建築教育の制度を整え、日本人建築家の育成に力を注ぎました。弟子に辰野金吾(東京駅の設計者)等がいます。作品には鹿鳴館(1883)、ニコライ堂(1891、現存)、綱町三井倶楽部(1913、現存)等があります。

【見学について】
毎日9寺〜午後5時まで、料金:150円

【交通のご案内】
・所在地:台東区池之端1−3−45
・交通の便:地下鉄千代田線「湯島駅」下車徒歩3分/JR山手線「御徒町駅」下車徒歩15分

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