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最終更新日:2007年1月30日

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●五木寛之の金沢での食を歩く 初版03/12/27 V01L01

 今週は2003年最後の掲載となります。一年間、ありがとうございました。「五木寛之の金沢を歩く」の最終回として、「五木寛之の金沢での食」を歩いてみました。ただ、余り時間が無かったのと、休日だったため、お休みのお店が多くて、残念ながら今一歩でした。

itsuki-nakano61w.jpg<金沢で一番すきな菓子>
 五木寛之は、食についてはあまり書き物がないのですが、エッセイの中で「金沢で一番好きな菓子」についてめずらしく書いています。「高価で美味なものについて、あれこれ言う趣味はない。高くて旨いのは当り前のことで、まずければ犯罪である。そんなふうに思っているから、安くて旨いものに出会うと感動する。……ここで控え目に紹介するのは、金沢の菓子のひとつで、(そばぼう)である。京都には(そばぼうろ)があるが、あれとはちがう。(ぼう)は(棒)と書く。文字通り、棒切れのような素朴な形の菓子だ。これがどう旨いかを喋るのは、ぼくの任ではない。ただ、こいつを噛じりはじめるときりがない。野の香りが口の中にひろがり、後味はさっばりして、胃にもたれることがない。金沢というのは、昔から菓子の伝統のある土地だが、ぼくはこの街の菓子はおおむねパスである。なんとなく百万石のしっぽをひきずっているところが胃にもたれるのだ。しかし、この (そばぼう)は、サムライの菓子ではない。町人の菓子でもない。これは白山や、能登や、加賀の野づらの匂いのするなつかしい菓子である。値段はびっくりするほど安い。甘味が少ないのもいい。もっとも、これ以上、甘くなると駄目になるぎりぎりのところでおさまっているものの、ぼくはもう少し甘味をおさえたほうがいいと思っている。Kというお店のイニシャルだけを書いておこうと思う。」。このお菓子は「蕎麦棒」と書きます。基本的には京都の”そばぼうろ”と同じで、味もよく似ています。形がまったく違うので、味のイメージも変わってしまうのではないかとおもいます。「K」というお店の名前は、正確には「芝舟小出」で、小出のKだとおもいます。蕎麦棒はそば粉を石臼で引いて焼いた、スティクタイプのお菓子です。どんな味のお菓子かと期待したのですが、先にも書きましたが、”そばぼうろ”にかなり近い味でした。

左の写真が、五木寛之が金沢で一番好きなお菓子の蕎麦棒です。

五木寛之の金沢 年表

和  暦

西暦

年    表

年齢

五木寛之の足跡

作  品
昭和40年
1965
北ベトナム爆撃、名神高速道路全線開通
33
4月 大学時代の友人、五木玲子と結婚
6月 訪ソ、東欧を経て帰国、金沢へ転居
さらばモスクワ愚連隊
昭和41年
1966
全日空機、羽田沖に墜落
34
2月 第六回小説現代新人賞を受賞、直木賞候補となる
 
昭和42年
1967
東京都知事に美濃部亮吉
35
1月 第五十六回直木賞受賞 蒼ざめた馬を見よ、青年は荒野をめざす
昭和44年
1969
東大安田講堂に機動隊
37
10月 東京へ転居 デラシネの旗

<加登長総本店>
 「五木寛之の食を歩く」のまず最初は”うとん”です。私も金沢のうどんは大好きで、見た目は関西風なのですが、だしが少し甘くて、関東風でもない、なんともいえない味をだしています。「…うどんといえば、どうも西のほうに軍配があがりそうだが、北のうどんもまた、なかなか捨てがたい味があるのだ。金沢に住んでいた頃、よくカドチョウのうどんを食った。(加登長)といえば、かつて芥川龍之介がやってきて、何か食べた店だと聞いている。東の廓で夜おそく、具のほとんどはいっていない加登長のうどんを太鼓の音など聞きながらすすっていると、なにやらひとかどの遊び人のような気分になったものである。金沢のうどんは、関西のように殊にコクがあるわけでもなく、関東のように濃い味でもない。ちょうど中間の、ややたよりない味なのだが、そこが持ち味ではあるまいか。うどんそのものもコシがあるような、ないような、いかにも前田家ゆかりの町らしいうどんなのだ。たよりないところが旨い、といえば身びいきと取られそうだ。ネギも中途半端である。京都のように青いネギでもなく、東京ふうの白ネギでもない。どっちつかずの金沢のうどんは、まことにその土地の気風をよく反映しているように思われる。…」。加登長総本店で食事をしたのですが、うどんだけを頼めば良かったのですが、加賀定食とかいう”うどん付のセット”を頼んでしまいました。写真をのせておきますが、五木寛之が書いているとおり、ネギしか入っていないシンプルなうどんが付いてきました。

左の写真が近江町市場近くの加登長総本店です。金沢市内には、”愛宕 加登長”のような”地名+加登長”と名前の付いたうどん屋がたくさんあります。暖簾分けだとおもいますが、系列が私にはよく分かりません。

<太郎>
 五木寛之は小説家では先輩の立原正秋を金沢に迎えます。その当時の事を「金沢での立原正秋」というエッセイに書いています。「…立原さんに彼の美意識があるとすれば、後輩の私にも、私なりの身構えがあった。私はあれこれ思いなやんだ末に、食通として知られる立原さんを、主計町の(太郎)という小さな店に案内することに決めた。(太郎)は浅野川のほとりの、鍋料理の店である。しもたや風の庶民的な雰囲気で、観光客よりも地元の客が愛用する小座敷だ。立原さんは、最初その店の前に立ったとき、一瞬、けげんそうな表情を見せた。そしてせまい階段をのぼって、小部屋のひとつにとおされたとき、低い鴨居にあやうく頭をぶっつけそうになって眉をひそめた。(太郎)に対する立原さんの反応は、私の予想したとおりだった。イカとワケギのぬたが出てくると、立原さんは重々しい動作で箸を使い、うむ、と顎を引いて、例の私の大好きなもつともらしい構えた口調で、「これは、ふむ、白味噌をもちいたものだな。そうだろう、五木くん」と、言い、二、三度、深くうなずいた。私は今でもそのときの立原さんの大真面目な口調を、ありありと思い出すことがある。そして、こみあげるおかしさを押さえることができずに、笑ってしまう。私はそういう立原さんが大好きだった。長兄にいたずらをしかける三男坊のような気分で、私は立原さんをわざと(太郎)へ案内したのだ。」。立原正秋は早稲田大学の先輩で、直木賞は五木寛之より半年早い、昭和41年上期(第55回)に受賞しています。

右の写真の左側が鍋料理で有名な主計町(かずえまち)の太郎です。浅野川が写真の右側で、川べりの昔からの風情がそのままのお店でした。日曜日だったので残念ながらお店は開いていませんでした。

<東の廓>
 金沢は東の浅野川、西の犀川に囲まれた加賀百万石の城下町ですが、遊ぶ所としては、浅野川の東にある”東の廓”、浅野川縁の”主計町”、犀川の西にある”西の廓”の三カ所があります。五木寛之は直木賞受賞後、金銭的にも余裕ができたとみえて、香林坊での喫茶店通いからお茶屋さん遊びをはじめています。「…浅野川べりを迂回して、東のくるわを歩く。昼間なのでどこも静かだ。お茶でも一杯ごちそうしてもらおうと、知合いのお茶屋をのぞいた。おかみが正月らしく改まった恰好で、挨拶にくる。何が苦手といって、形式ばった挨拶ほど苦手なものはない。外地育ちの引揚少年だった私は、およそしつけというものを身につけずに三十五歳になってしまった。金沢弁で何やら言われても、受け答えのすべを知らず、「やあ、どうも」とか何とか口ごもりながら上衣のボタンを掛けたり外したりするだけだ。昼間なのでひまと見えて、日本髪にゆった女の人たちが何人もやって来る。長い裾を引きずって、しきいの所で手をつくと、「ながいこって」「ながいこって」裾の長い着物なので歩きにくい、とでも言ってるのだろうと考えていたら、そうではなかった。「ながいこって」というのは、「おひさしぶりねえ」という土地の挨拶だという。何やら「徳川の夫人たち」のテレビでも見てるような具合で、落着かない。…」。それはやはり落ち着かないでしょうね。現在の”東の廓”当時の町並みが保存されている観光地になっていました。お茶屋さんもやっているようですが、日曜日の”東の廓”は観光客でいっぱいでした。主計町は上記の「太郎」の場所です。太郎から浅野川大橋を見た写真を掲載します。西の廓の写真も掲載しておきます。

左の写真が浅野川の東にある東の廓です。電柱もなく、町並みも当時のままで、金沢の昔の雰囲気をそのまま残している町並みです。

<高砂>
 五木寛之は金沢の”おでん”がかなり気に入っているようです。「…夜、金沢へもどって香林坊から犀川への裏通りを歩く。三十五年前にデイトをした(芝生)という店がまだある。金沢教会の前の桜も、ライトアップされているのに、未だ花開かず。宇都宮書店で本二冊。結局、柿の木畠のおでん屋〈高砂〉で、一人ビールにおでんの夕食。かなり食べて二千二百十円也。テレビが巨人阪神戦をやっていた。明日は能登へゆくために九時半に起きる予定。六月に集英社から出す『こころ・と・からだ』のゲラ直しを少しして就寝。…」、。私も夜に「高砂」を訪ねました。おでんもたくさん食べましたので、食した「おでん」の写真を載せておきます。

右の写真が、香林坊に近い、すこし脇道に入った所にある、おでん屋「高砂」です。

「五木寛之の金沢での食を歩く」はまだまだ不十分ですので、時間をかけて改版してゆきます。


五木寛之の金沢地図 -3- itsuki-tokyo-map1.gif


五木寛之の金沢地図 -2-
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【参考文献】
・風に吹かれて:五木寛之、角川文庫
・五木寛之全紀行6 半島から東京まで:五木寛之、東京書籍
・赤線跡を歩く:木村聡、自由国民社
・葦笛のうた(足立・女の歴史):鈴木裕子、ドメス出版
・五木寛之全紀行5 金沢はいまも雪か:五木寛之、東京書籍
・現代作家シリーズ 五木寛之:浅尾忠男
・五木寛之エッセイ全集:講談社
・いま五木寛之(面白半分増刊号):五木寛之、面白半分
・曽野綾子、五木寛之、古井由吉(石川近代文学全集10):石川近代文学館
・五木寛之作品集:五木寛之、文藝春秋社
・五木寛之 日記:五木寛之、岩波新書
 
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