今週からしばらくの間、「明治維新シリーズ」として、江戸で起こった明治維新に関連する事件を掲載していきたいとおもいます。まず最初は、江戸で起こった維新関連の中で最も大きな事件で、大老井伊直弼が水戸浪士に桜田門外で殺害された 「桜田門外の変」を歩いてみたいとおもいます。万延元年(1860)3月3日に起こったこの事件に参加した水戸浪士たち18人の一日を追ってみました。 「江戸城無血開城」まで、あと6年ですから、時代が大きく変わる時の”時の流れの速さ”に驚きますね。
< 土蔵相模>
東海道品川宿で最も有名な飯売旅籠屋だったのが4「相模屋」です。歩行新宿(現在の北品川一丁目)にあり、外壁が土蔵のような海鼠壁(なまこかべ)だったので「土蔵相模」と呼ばれていたようです。文久2年(1862)品川御殿山のイギリス公使館焼き討ち事件の首謀者、高杉晋作や久坂玄瑞らが謀議をこらしたもこの「相模屋」です。時代の流れを創った旅籠屋だったのですが、「桜田門外の変」でも、当日、浪士たちが出発した旅籠屋になりました。吉村昭の「桜田門外ノ変」では「鉄之介は、稲葉屋の男に案内されて最後の打合わせ場所である相模屋に行った。土蔵相模と称されているように土蔵づくりの大きな妓楼で、かれは玄関に入った。板敷の内部にあがって廊下をゆくと、中庭にかかった朱塗りの橋があり、その奥に広間があった。」と前日の様子を書いています。
★左の写真左側のファミリーマートがあるマンションの所が「土蔵相模」跡です。この「土蔵相模」の建物は、戦災にも生き延び、昭和52年に取り壊されています。残念ながら私は以前の姿を見ることができませんでした。残念!! |